(2012.01.20)
■問われるのは行動である③ 動機と行動の区別
性格のもうひとつ外側には「動機」がある。動機は、行動に直接つながる接点である。その「動機」もまた、気質、性格の影響を受ける。内向的な性格の人は控えめな行動を取ろうと言う動機となり、外向的な性格の人は、積極的な行動への動機に結びつきやすい。ただし、前述のように、マネジメントを行う人は、性格のままの行動への動機でよいかどうかを、判断しているのである。
この動機も、マネジメント行動との関係において、考えさせられる点がある。
例によって面接演習もしくは日常の様子を思い浮かべてみよう。あなたが、能力はそれなりにあるが、性格的に少々やっかいな部下を持っていたとする。いろいろと日常話し合うこともあるだろう。意見が合わないこともあるに違いない。ともあれ、あなたはその部下に少しでも上司としての考えを理解してもらいたいし、その上で、一層意欲を持って仕事に取り組み成果を挙げて欲しいと思っているだろう。その思いがここで言う「動機」である。もしもこの時、似たような立場に置かれた同僚の管理職が、「日頃から気にいらない男だが、よい機会がめぐって来たので、ここはひとつがつんといためつけてやろう」と思って臨んだとしたら、あなたはどう思うだろうか。少なくとも感心はしないだろうし、あまり好ましいとは思わないだろう。
誰しも、部下の意欲と能力の向上を願う。つまりマネジメントを論じる時は、その濃淡は別として、動機はほぼ適切であると言う前提に立たないとあまり話にならないのである。もしも明確に否定的な動機を持って臨めば、マネジメント以前の話になってしまう。かりに部下のやる気をなくさせてやろうと思って面接場面に臨むのであれば、それはマネジャーとして基本的な物の考え方(つまりは動機だが)が現時点では欠落していると言われてもしかたないだろう。
まあ、そう言うことはまずあまりない。目の前に部下がいるとする。ついついやりあっているうちにカッカとしてくることはあるかもしれない。それは文字通り性格的な面が無意識に作用してそうなる。まあ、あまり適切ではない行動と言うことで、否定的な動機と言うほどではない。しかし、温厚沈着で決して事に臨んでカッカと感情的にはならない読者でも、時には天を仰いでこう言いたくなったり、実際に言ったことはないだろうか。
「君ね、ぼくはそんなつもりで言っているのではないのだよ。どうしてわかってくれないかなあ・・・・・」
つまりいくら言っても部下に上司の意図が浸透せず、適切な行動につながっていないようだ。私もこう言いたくなる上司の気持ちは痛いほどよくわかる。しかし、ここはまったく第三者の目から、つまり他人の目からこの情景をながめてみよう。そして端的に問いたい。この情景で、いったい悪いのは上司なのか部下なのか。
「私はそんなつもりで言ったのではないのだ。」
と言いたくなる気持ちは私も上司のひとりとして痛いほどわかる。その「つもり」と言うのがここで言う「動機」なのだが、それは上述のようにみな、基本は同じ方向なのである。動機がほぼ同じなのに、部下がどれだけやる気になったかと言う結果が時に厳然として違うのである。そうである以上、その結果を受け止め、なぜそうなったかを考えることが、マネジメントを行う者にとって大変重要なのだ。「動機」はさして変わりない以上、つまりは「行動」のありようが違うからそうなったのである。マネジャーは、動機ではなくて、結果と行動が問われるのだ。
そう、この情景において、課題は上司の側にあるとしか言いようがない。いかなる時も意図を浸透させる責任は上司の側にあるだろう。このことは体験学習のふたつめの要素のところで述べた。大事な点だからもう一度言う。マネジャーや、リーダーと言うのは、その言葉が関係する人々からどう受けとめられたかがすべてなのであって、そんなつもりでなかった、実はこう言う意味だったなどとあとから言うのは益のないことなのである。
以上が動機と行動の区別である。