(2012.8.04)
さて、せっかくの独自性だから、少しだけカリスマ経営者の行動例に学んでみよう。上述渡辺美樹氏ご自身の例を挙げてみる。氏が最も独自性を発揮した場面は、それにふさわしく2度の真の自立を果たした場面であると思われる。
一度目は、大学を卒業して会社設立の資本金300万円をつくるとき。彼ほどの才弁があればセールスマンをやって稼いでもよかったし、実際それは容易にできただろうとご本人も言う。しかし、どうあっても起業資金は自分が手を汚し、体を酷使してつくりたかったのだと言う。そして勤務条件の酷烈なある宅急便会社のセールスドライバーを勤めあげおカネをつくった。このくだりはベストセラーにもなった高杉良先生の小説「青年社長」に詳しい。読むと渡辺氏の凄まじく強靭な意志がよく伝わってくる。現代版「臥薪嘗胆」の趣である。
「ガシンショウタン」とは、敗戦の屈辱を忘れないために、硬くごつごつした薪(まき)を枕にして眠り、苦い苦い肝(きも)をなめて、日夜その恥をそそぐことを自らに誓ったと言う中国古代の故事である。経営者としてその後数十年、難局に立ち向かう時には、この時の苦しさと志の原点を渡辺氏はいつも思い出されたに違いない。まるでわざわざそのようにしたかのようである。
こうした渡辺氏は、自分には起業資金はまったくないがアイデアならあるなどと称して持ち込んでくる輩には絶対に会わないのだと言う。自立心(独自性)のない人物とはつきあわないと言うことだ。
その後、居酒屋「つぼ八」のフランチャイジーとしてそれなりの成功を遂げ、かつ、つぼ八本部に、違う業態だからと言って今の「和民」(ワタミ)を立ち上げることを念願かなって了解してもらった。ところが、ある和民の店の近くのつぼ八の売上が激減してしまった。驚いたつぼ八側は態度をひるがえし、和民を続けるなら、つぼ八のフランチャイジー13店舗の看板はすべて返せと迫ってきた。上記はたまたまそうなったが、その時点では和民はまだ全体としては赤字なのに対し、つぼ八13店では、年間3億5千万の利益が出ている。それをすぐ取り上げられたら、時をおかずして会社がつぶれてしまうではないか。
むろん、渡辺氏の夢は、自社ブランドとしての「居食屋」業態として上場企業となり、日本一の外食チェーンをつくることである。それを社員にいつも語っていた。つぼ八の優良フランチャイジーにとどまり続けることではない。だから、つぼ八で上がる利益を確保しながら、和民への投資を続け、これをじっくり大木に育てる。そういう皮算用だったはずである。しかしここで二者択一をいきなり迫られてしまった。運命の神はこうした時、真のアントレプレナーには、安全な道を許さず、なぜか非情な試練をお与えになることが多い。
ここで氏の取った決断は、尋常なものではなかった。会社がつぶれるつぶれないより大切なことがある、和民が和民らしくなくなったら存在する意味はない、社員は皆自分をうそつきだと見透かすだろう。自分の言行を一致させる決心をして、次々つぼ八の看板を下ろし、いま私たちが知っている和民になった。独自性が問われる意思決定は、このように、主体の人格と運命そのものが問われる。そして渡辺氏は賭けに勝った。
繰り返すが、このような行動は、独自性が最高レベルな状態である。そして子供のように、人に何か言われるたびにふらふらと影響されるのが、独自性の原初状態である。私たちはたいていのその途中のどこかにいることになる。そして組織上の役割の遂行において独自性が必要な程度は、置かれた環境により異なるようである。
まとめると独自性には、幾つかの要素があり、その総合の程度となる。第一に自責性。これは既に述べた。第二に、自律性。これが最高度になると、渡辺氏のように使命感になる。自分が何に深くコミットメントするのかが不明確では、自主独立は完結しない。
第三にそれを支える、生活力である。渡辺氏の力量がけた外れであるのは別にして、いくら自主独立の人でも、一人だけで仕事はできないのだから、業績を上げる力が裏打ちされていないと、誰も協力する気にならない。なぜなら自責、自律、使命感に富んだ主張や言行は、その種のものを見聞する人にとってはひどく違和感を与えることが多いからである。そうしたとき、業績を上げる力が人から感じられないと、誰もついてゆかない。変人奇人と独自性の差はここである。
伊藤忠商事の経営改革を成し遂げた丹羽宇一郎氏は、ひどく端的に「カネの匂い」がしないようではビジネスマンとしては半人前だと述べておられた。表現はともかく、自主独立を成立させる不可欠の要素である。