投稿者: 横山太郎

  • その2:アセスメント研修とは 〜人は節目の行動を問われる〜

    ■アセスメント研修とは、自分の行動をアセスメントする研修である
     
    アセスメントと言うのは直訳すると評価であり、確かに歴史的には文字通り昇進試験における、会社側からの人材評価と言う意味だった。だが、能力開発としては、自分の行動を冷静に評価し、それを自らが受け入れることができると言うことが何より大切である。自分の行動の評価を納得できるとしたら、自分の向上のためにそれが行われる時であり、できれば試験やその他の評価がかかっていない時のほうがよい。
     
    そう言うことなのだが、現実には、さまざまに混合された目的をもってアセスメントが運営される。その場合でも、実行してみれば、能力開発、意識改革に大きなよい影響があることがあとでわかるので、私はそれはそれでよいと思っている。
     
    ともあれ、ここで言っておきたいことは、アセスメント研修の主眼は、自分の行動を深くふり返る、と言う点にあると言うことである。
     
    行動とは、かんじんかなめな時の行動、節目の行動である。
     
    どうでもよい時の行動ではない。人は、問われるのは、節目の行動である。楽しい歓談の時のそれではない。考えてみればすぐわかる。2日前に上司と昼食と共にして何を雑談したかなどまず覚えていない。しかし、自分を含むチームメンバーの大きな利害がかかったところで、当の上司がどのような態度、行動を取ったかは、あなたは決して一生忘れないだろう。それが立派なご判断だったかそうでなかったか、いずれだとしても。
     
    そう、私たちは節目の行動を問われるのである。を節目の行動のあり方を、ふつうマネジメントとかリーダーシップと言う。だからアセスメントと言うのは、マネジメント行動、リーダーシップ行動をアセスメントし、深くふり返るものである。
     
    なんだ、それでは管理職とその候補者だけの話かと言われそうだが、そうではない。責任ある仕事をする人にとって、マネジメントやリーダシップがいらないと言うことはあり得ない。
     
    当節総合職で入社3年もすれば、結構重い仕事上の責任を負う。重い責任を負えば、上司や顧客に重要な報告をしなければならないだろう。何を報告し、何を不要として省くかは、結構な「判断力」を要する。この「判断力」と言うのは、マネジメント能力の言わば代表選手である。
     
    あなたが入社20年目の高度な専門職だったらどうか。もう管理職になりたくないよと言うのは本人の自由だからそれはかまわない。が、専門職と言うのは、そのテーマに必ずスポンサーやオーナーがいるだろう。あなたの頭脳の中にどれほど素晴らしいアイデアが入っていたとしても、それをスポンサーがわかってくださり、進んで予算をつけてあげようという気持ちになるよう「説得」しない限り、決してあなたが活躍できる場は与えられない。この「説得力」と言うのも、また一方のマネジメント能力の代表選手である。
     
    こうして見ると、およそ組織の中でマネジメント行動が問われない人などいない。考えてみればきわめてあたりまえな結論である。管理職とそうでない人の違いは、部下がいるかいないかと言う現象だけに過ぎない。
     
    そのような節目の場面は、日常にどれだけあるだろうか。あるいはどのような場面がそれにあたっているだろうか。ここで読者はご自分の日常を思い返して頂きたい。

  • 実戦問答No.23:先生、それはさびしいですね

    ~アクションラーニングの最後の授業~

    「先生、それはさびしいですね。」

    この仕事をやっていていちばん胸に響くのはこうした言葉である。

    ある会社で管理職を選抜で集めてもらい、しばらくの間(6、7回だったか)、アクションラーニングを続けた。受講者の行動と相互の意思疎通に変化が見えてきた。そうした時、社長に伝えられた。

    「いつまでも先生におんぶにだっこではいけないと言うことで、彼らメンバー達に、『そろそろおまえ達で本当に自律的な連携の動きをしてもらいたいたい』と伝えました。」

    「そうですか・・・・・」

    「最近すでにそのような動きが生じてきたことじたいは、先生のお蔭なので、本当にそれは感謝申し上げます。」

    「いえいえ、私よりも、彼ら自身の意思で動いたのですから・・・・・」

    「いや、先生がそのように自発的に考える場をつくってくれたからでしょう。」

    「・・・・・」

    「だから、それが本物になるかどうかは一度先生から手ばなれしてみないとみないとわからない。」

    「・・・・・」

    「だからしばらく先生とのアクションラーニングはお休みにします。が、うまくゆかないようならまたおよびだてすることになると思いますので。」

    「・・・・・」

    「その時は、もうこんな会社はあかん、なんて言わずにいらしてくださいよ。」

    「・・・・・決してそのようなことは・・・・・」

    そこで次回は、「最後の授業」ということになった。もちろんアクションラーニングだから、あのフランスの名作小説のように、私が正装して教壇に立って講義をするわけではないし、近所じゅうの名士が参集するわけでもない。その日もセッションは、時に熱心に、時に大笑いし、時には難局に苦渋してとどこおり、要するにいつも通り、とてもアクションラーニングらしく進んだ。

    「終業」の時刻が近づいた。

    「それでは皆さん、次にお会いするのはいつになるかわかりませんが、この場で学んだことをしっかり胸にとどめてがんばっていって欲しいと思います。」

    私は静かに、ごく月並みなあいさつを手みじかにした。するとメンバーの中で、いちばん力もキャリアもある人が、冒頭のように言ったのである。

    「先生、それはさびしいですね。」

    「・・・・・」

    「このあと、私たちだけでセッションをやると、けんかになってしまい、まだうまくゆかないかもしれない。」

    実はこの人は、アクションラーニングが始まった当初は、実は

    「また社長の思いつきでこんなこと始めて、いったいなんになるのだ」

    と言う顔をしていた。それが最後にはこう変わった。と言うより、既に自分自身の問題提示が問われた2度目の会合からそのように変わっていた。

    「・・・・・まあ、どちらにしても、自律してやってゆく時期は必要ですから・・・・・。いや、私はこれまでも横合いから支援してきただけで、皆さんは自律的な動きをしてきたと思っています。」

    「うまくゆかないときはまたきてくれるのですね。」

    「・・・・・いや、そうならないように願っていますよ。」

    「はあ・・・・・」

    「ただ・・・・・」

    「・・・・・」

    「ただ、仕事の連携、協調なら私はそんなに心配はしていないのですが、人の成長と言うことになると、もっともっと長い期間で見ないといけない。」

    「・・・・・」

    「だから私は、仕事の成果とは別に、皆さんが今後どう変わってゆくのか、正直に言うと、もう少しそばで見ていたかった。」

    「・・・・・」

    「まあ、それもこれも含め、今度お目にかかった時には、すっかり変身していてくださいよ。」

    今度は、よりキャリアの浅い数名のほうを見て言った。私に視線を移された彼らは、少しだけはにかんだような表情をした。

    会社を辞去するときには、少しだけ思春期の卒業式の帰りの家路のような気持ちがよみがえって来た。私は日々現実の泥沼の中で過ごすごく平凡な中年男に過ぎない。が、胸中をさわやかな風が吹き抜け、何やら希望がわいてきたような気持ちだ。きっと受講者の方々も同じに違いないと思った。アクションラーニングには、不思議な力を神様が宿してくれたようである。

  • その1:行動変革のためのアセスメント研修

    ■アセスメントは永く忘れないプログラムである

    アセスメント研修は最も速効的なプログラムである。
     
    どれくらい速効的かと言えば、受講者が研修の翌日から行動が変わったと言うことをあとで聞くことが別段珍しくないからである。
     
    速効性よりも定着性のほうがなお重要かもしれない。それもまた高い。5年10年、その時の印象を忘れない人もまた別段珍しくない。上述のように、プログラムがこの形になって20年になるが、20年近く前にアセスメントを受けた人と、「今でもあの時は・・・」と互いに頭を掻きながら話すこともまた、さして異例でもない。ある私のクライアント先の社長は、社長に就かれてから行ったことのひとつが、幹部社員に対するアセスメントの実施であった。自分が30年前に受けたアセスメントの印象が忘れられないでいた折り(さすがにその往時に私は現役ではなかったが)、拙著をお読み頂き、その心証をまた強く思い出され、招じられて実施となったのである。読者の皆様の会社では、きっと研修の効果はどうなのか、それをどうやって測るのか、とかまびすしいことかと思う。こうしたことであまり「科学的測定」を試みても、実は徒労である。しかし、受講後10年20年覚えている研修があるとしたら、そう言う論議自体にすぐさま終止符を打てるのではないか。そのくらいその気があれば、自分に対して気づくことに満ちあふれた研修である。
     
    よく言われるように、このプログラムは、もともとは米軍で開発され、その後米国の大手企業で昇進試験として用いられてきた歴史を持っている。しかし、ただの試験で終えてしまっては誠に惜しい。と言うより、今となっては試験としては用いない方が、ずっとその効果は高いだろう。
     
    そのすばらしい効果の真髄は、もちろん体験いただくことによってしか得られない。が、書き言葉で、そのさわりくらいは述べることはできるだろう。この原稿は、そのエッセンスを述べ、今後導入を検討する企業向けの案内を行うとともに、実際にアセスメント研修を受けた方々のマネジメントの復習と効果の一層の定着を兼ねたテキストとしたいと思っている。
     
    なお言えば、最近は、そうした真髄をきちんと体現しないアセスメントの運用が増えてきたようにも感じる。そうした中途半端な運用では所期の効果がむろん大きく減じられるから、そうした側面への指摘も今回は併せて行いたい。アセスメントには、その運用上の新しい技術はどんどん取り入れるべきであるが(私はそれらをいろいろ工夫してきた)、その原理においては、エクセレントカンパニーの経営理念が、時代を超えて変化しないように、正真正銘のものを次世代に引き継いでゆくべきと思うからである。
     
    次回以降本論に入りたい。

  • 読書日誌5:「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」辻野晃一郎著

    「ソニー本」と言うカテゴリーがあるとしたらいったい何冊くらいあるのだろうか。私も随分と読んだ気がするが、きっと全部で百冊ではきかないだろうか。そのくらい、ソニーと言う会社は、何しろあの名著「ビジョナリーカンパニー」でただ1社選ばれた日本企業であるだけに、外部の者からは光輝燦々としたイメージがあった。
     
    本書は、最近のソニーの様子を生々しく写し取ってきたと言う意味では、それらの中で抜きんでた価値がある。著者は、慙愧の思いを込めて、2003年のソニーショック前後から、ソニーのガバナンスが乱れてしまったと言う。そしてその様子が、固有名詞入りで展開される。読む者がうめき声をあげたくなるような、筆者の社内政治場面の苦闘が続く。本書にも引用されるあの井深大氏の芸術のように格調高い設立趣意書が書かれてから、半世紀と少しである。
     
    多くの「ソニー本」は、それ以前の、きらきらとしていたソニーに関するものであるのに対し、この本は、その前後にまたがっているのである。ガバナンスが乱れたあとのソニーは、これも数あるソニー本の題名のひとつになっているが、「普通」の会社になったようである。
     
    本書は、前半3分の2が、ソニー時代、後半3分の1が、転職後のグーグルの様子に当てられている。その結果、現代IT業界、電機業界の大変良質な入門書ともなっている。
     
    それにしても、ソニー時代の、社内政治の泥沼にはまってもがく筆者の姿は凄絶である。その中で、これだけの成果(VAIO、スゴ録など)を残して来た筆者の力量は並大抵ではない。しかも40才まで事業部経験のなかった筆者が、そのあと、社内政治の大波に翻弄されながら、わずか9年たらずの間に、多くのことを成し遂げた。IT業界の入門書であるばかりでなく、人間関係と社内政治に悩む幾百万のビジネスマンにとっても、傷んだ心を安んじるすばらしい叙事詩にもなっている。
     
    カンパニープレジデントを務めていたあるとき、言うことを聞かずに反発し続ける、とても優秀な専門職肌の社歴先輩の部下とのとげとげしい折衝に互いに疲れ果て、当時の出井会長や安藤社長に相談した。すると、「どんな人でもうまく使えないとだめだよ」と無責任に?諭されてその後も努力したが結局うまくゆかず徒労に終わったと言う。こんなくだりは何とも苦い思いを共有した読者が多いのではないか。
     
    そしてソニー末期のある時期の、次の血を吐くような言葉は深く印象に残った。創業者がつくったソニーの「ブランドバリューにただぶらさがり、食い潰すだけの人達が増えた結果がソニーショックを引き起こしたのだ。」
     
    他方、ガバナンスが乱れる前のソニーらしい逸話がところどころに散りばめられていて、思わず読者がほっとする箇所もある。ああ、やっぱりソニーなんだなあと。
     
    そのひとつを挙げると、筆者が管理職昇進試験を受けた時のこと。おえら方の前で自論を開陳できる時間はわずか5分だった。5分で十分な訴求などできるわけないと、はじめからこじんまりまとめる気などない筆者は、時間を過ぎてもとうとうと弁じる。ついに試験官上席が怒る。「君はいつまで話しているのだ!」ここで恐れ入らないのが筆者らしい。「5分で物を論ぜよとはそもそも無理です。」とやってしまう。退席を命じられむろん絶対落第だと思っていたら、あにはからんや昇進の通知が来た。人事本部長が「ああいう管理職がひとりくらいいてもよいではないか」と言ってとりなしたようである。こういう牧歌的な風景は、本来日本企業には、程度の差はあれ存在していたし、ソニーこそはその本家だったはずだ。
     
    後半のグーグルでの話は、まだ時間がたっていないせいか、ソニー時代に比しては、生々しい話がぐっと少なく、グーグルの経営理念や事業ビジョンの説明が多い。もちろん内容自体大いに勉強になるのだが、少し年数がたったら、ぜひまた生々しいやり取りを著して欲しいものである。
     
    功なり名を遂げた経営者の回顧的自伝でなく、サラリーマンが自身の経験を書いた企業内物語としては、なかなか類を見ない凄味である。比肩させるなら、アサヒビールでスーパードライを開発した松井康雄氏の「たかがビールされどビール」くらいしか思い浮かばないが、こちらは、20年を経てから筆を執られたと言う違いがある。
     
    まだ残された活躍期間の長い著者の今後の活動ぶりを注目したい。

  • 実戦問答No.22:毎日が混沌なのがあたりまえと思えば

    〜アクションラーニングセッションとマネジメントの日常〜

    以前、管理職昇進後の研修としてある会社でアクションラーニングを行った。終了際に、ひとりひとりに今回研修にて学んだことを簡単に述べてもらった時、ある受講者が、こう言った。

    「昨日の午前中のぼくのセッションの時に、先生(横山)に言って頂いたことがずっと頭から離れません。」

    「・・・・・」

    「先生が、混迷に混迷を重ねた私の問題をお聞きになって、セッションの終わりぎわに『これからマネジャーになると、混沌、カオスが日常になるのでしょうから、そう簡単に問題が区切れてゆかないでしょうね、それはとりもなおさずあなたが本当の管理職らしくなったと言うことでしょう。』とおっしゃいましたが、私の今の心境にズバリでした。昨日今日のこの心境を、今後ずっと大切にしてゆきたいと思います。」

    この人は、課長になる前から私は存じ上げている。ばりばりの営業マンと言う表現がほぼ当たっている人だった。と言って、ただ売って来るだけではなくて、顧客の要求に応えるために、技術部門や生産部門と、いつも精力的に折衝していた。と言うよりイニシアティブを取っていた。こう書くと、完全無欠のように思えてしまうが、もちろん弱点のない人間などいない。あまりに深く他部署の問題に漬かりこむため、効率的とは言いがたい。時々上司は渋い顔をしていた。要するに活動的だが、計画性は今一歩と言うことだ。

    その彼が、今度は管理職昇進とほぼ同時に、重要拠点のアジア某国の現地合弁企業の副社長に任じられた。とたんに仕事が社内政治まみれになった。現地の社長、合弁先の株主との調整はもちろんやさしくはない。その上、日本側からの指示が時に全く現地の事情に符合しない、つまりはトンチンカンなこともある。そうした時には現地の経営陣との間に深い葛藤が生じる。その場合、現地の側の実情に基づく利害を自分が時には代弁しなければならない。日本の役員級の上司からは、「おまえはどっちの人間なのだ」と聞かれてしまう。他の現地企業との商売上の競争は、国内とは比較にならないくらい「えげつない」手法が横行する。つまり今回研修の彼の問題は、そうした政治まみれ、ガバナンスのぶつかり合い、商売上の泥沼にひたって「いったい自分はこの先どう言うポジショニングで仕事をしていったらよいのか」と言うのが彼の問題提示だった。
     

    彼は言う。

    「(課長になる前の)今までの自分はいくら売ってきたとか、どんな新規案件を取ってきたとか、それを垂直立ち上げできるよう、関係者を巻き込んでゆくとか、ともかく前を向いてがりがりやってさえすればよかった。もちろんそれがやさしかったとは言いませんが、がんばりさえすればなんとかなるところがあった。」

    「・・・・・」

    「ところが今度の任務はまるで違う。四方八方に気を着けていないといけない。それでいていつ区切りがつくと言うこともはっきりしない。」

    「・・・・・」

    「全く、あちこちの主要都市を飛び回って、見た目にはとても国際派ビジネスマンになったようですが、やっていることと言ったら、あまりにどろどろしている。」

    「・・・・・」

    「いくら打たれ強いのが自慢の私でも、少しまいっていたところでこの研修がめぐってきました。」

    「それはよかったですね・・・・・。」

    「それで、皆さんに私の問題を共有して頂いたことはとてもありがたく思いました。だからより一層その最後に、先生に言われた言葉が胸に響きました。」

    「・・・・・」

    「そうですね、これからは毎日が混沌なのがあたりまえと思えば何でもないですよね。」

    どうやらこの人は、持ち味のストレス耐性が一層強くなってしまったようだ。

    「そう思いましたか。」

    「ええ、ありがとうございました。」

    「そのうち、逆に混沌を好むようになるかも知れませんね。はじめからくっきりしているものは何かおかしい、あやしい、と。そうなったら本物の管理職ですね。」

    「はい。」

    「それでも梅雨の晴れ間のように、時々は青空がのぞくでしょう。その青空はいつもより一層深くあおあおと見えるはずです。」

    「はあ・・・・・」

    「時には区切りが着きますから祝杯をあげてください。そうしないと・・・・・まあ、あなたは大丈夫でしょうが、バーンアウトしてしまいます。」

    「ええ、そうですね。」

    彼は最後はいつもの明るい表情でにやっとした。この人のもうひとつの長所は、ぬきどころも心得ていて、良い意味で結構ちゃっかりしている。

    アクションラーニングは混沌(カオス)に始まる。セッションでテーマとすべき問題が、整理されきってしまっていたら、もはや問題ではないのだ。自分でも本当にわからないから問題なのである。目を転じて私たちのマネジメントの日常は、変な表現だが、混沌要素が必ず一定割合で保持されるべきなのだろう。不透明で混沌とした状態の時にしか付加価値はつかない。逆に整理統制されきった状態だったら、そこにどうやって付加価値をつけるのだろうか。だから私の知る限り、すぐれたマネジャーは、たいてい混沌を好む。かの碩学ミンツバーグ教授は「すぐれたマネジャーはアナログを好む」と仰ったが、ほぼ同じ意味だと解釈させて頂いている。アクションラーニングは、そのような混沌が、素直にそのまま表出されるほどうまくゆく。今回がよい例だ。

    次に彼と会うのはいつになるだろうか。その時は経験を積んで、もっともっと大きな人物になっていて欲しいものだ。本人のため、周囲のため、この会社のために。それをこの目で確かめるのが今から本当に楽しみである。 

  • 読書日誌4:「『戦う組織』の作り方」渡邊美樹著

    著者は言うまでもなく居酒屋チェーン、学校、福祉施設、農業など経営するワタミグループの創業者である。私は渡邉氏が十数年前に、社長として給料袋に毎月入れていた手紙をまとめた最初の著書「社長が贈り続けた社員への手紙 (1998年)」を読んでからの氏のファンである。その後一層大きく成長した渡邉氏のテレビでの言動やより多くの著書を知るにつけ、「あの人の力量は、一企業グループのためではなく、国民全体の福祉の向上に用いて欲しいものだ」とつくづく思った。そうしたら、ご本人にもそうした動機がおありだったのか、ワタミの会長を辞して、ついに先の都知事選に立候補された。対立候補が石原慎太郎氏では相手が悪かったが、さてこの先、どんな道を歩まれるのだろうか。

    ■「血の通った機能体組織」 
    都知事に出る2年前に、50才にもならない若さで、社長を退き会長になって、会社経営と言う意味では、一歩下がったところから後進を見守る意思を表明していた。この本はちょうどその前後に書いた、渡邉氏の実戦の経営組織論のエッセンスの集約である。
     
    ワタミでは、「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」と言う志を、採用から教育訓練までにおいて徹底的に刷り込む。組織とは「理念集団」なのだと言うのが氏の持論である。理念を実現するためには挑戦と変革あるのみである。つまりは毎日が戦いだ。表題のように、組織とは理念を実現する戦いのためにあると言うことになる。氏のたどってきた道からは、それ以外の組織などあり得ないのだろう。
     
    だから「多様性」などと言う言葉は、氏の著書には出て来ない。「理念集団」にはそれに矛盾する言動が時に生じても、それをはじき出して行く自浄能力が働くと言う。ここまで来ると、仕事と自分とに一定の距離を置きたい人にはとても着いてゆけない。ワタミが、一般に厳しい会社であると言われれるのはこのせいだろう。が、このように凝集性の高い組織にしなければ、渡邉氏の業績もまたあり得なかった。
     
    達成すべき目的がはっきりした組織を機能体と呼び、そうではなく、存在すること自体が目的となっている、地域コミュニティ、クラブやサークルのような集団は共同体と言われる。会社組織と言うのは、その成り立ちはどう考えても機能体であるべきなのだろう。が、あの堺屋太一氏は、かつてベストセラー「組織の盛衰」において、おうおうにして日本企業にあっては、機能体であるべき組織が、サークルのように共同体化してしまうと述べられた。競争相手との戦いに勝つことや顧客満足を高めることよりも、内部指向となり、いつのまにやら、外で戦う努力をするよりも、社内政治に明け暮れるような人達のための組織になってしまう例が多い、と言うわけだ。
     
    本来の組織の機能を徹底して果たすよう歴史上誰よりも強く求めた日本人は、おそらく織田信長である。彼の眼中には、生身の人間である家臣達もただの機能としてしか映っていなかったかも知れない。私たちは、ふつう信長を英雄として礼賛する。事実その評価は妥当だろうが、その場合に、それとは別に、信長に仕えていた武将達の気持ちを、アクションラーニングセッションのように、もう少し共有する必要があるかも知れない。毎日が薄氷を踏む思い、と言うより白刃の上を渡る思いだったろう。そのくらい主君信長は怖かった。その怖さに較べれば、決死の覚悟で難敵に当たることなど、ひょっとしたらさほどでもなかったのかも知れない。英雄の下で働くと言うのはそう言うことなのだろう。だから織田軍団は強かった。
     
    ところが、堺屋氏は言う。そのような純粋な機能体組織は、やがてメンバーが疲れ果ててしまい、日本にあっては長続きしないのだ、と。なるほど、信長のつくりあげた機能一辺倒の精強軍団組織も、疲れ果てた明智光秀がなかば自暴自棄になって謀叛を起こし、信長らしいその最期とともに消えうせてしまった。
     
    さて横道が長くなったが、どうやら信長のことは、渡邉氏も尊敬しているような口吻を本書にて示す。渡邉氏の率いたワタミは、この文脈で見ると、「血の通った機能体組織」なのである。本書のどこの断面を切り出しても、渡邉氏の部下を思う熱い血潮がほとばしっている。較べる意味があるかどうかは別として、そこが信長と全く違う。その上で、純粋に人を能力で評価し、役割を与え処遇している。こちらは信長と同じ完全な実力主義だ。この情熱と冷徹の両立は、誠に非凡と言うしかない。だから、ワタミでは、人事に情実、社内政治が起こり得ないと言う。
     
    純粋な能力主義にすると、「組織は人を食って成長してゆく」。渡邉氏のこの一句は警抜である。何しろワタミは急成長した組織だ。いっときはマネジャーが勤まった人でも、事業の規模が拡がると、とたんに通用しなくなると言うことが、ひじょうに多く起きた。そうした時に、渡邉氏が取った態度は、理にかなった上に、部下を慈しむ深い情義にあふれたものである。何しろ氏の後継社長になった人も、一時降格人事を受けているのだ。しかしその態度には、再挑戦して壁を克服することを真に期待する愛情があふれていた。事実、後継者はその期待に応え、もう一度はい上がってきた。それは鮮やか過ぎる例だろう。マネジメント能力がそのまま停滞した例も少なくない。それでも、縁あって同志となった人には、それにふさわしい活躍の場を一生懸命見つける。血が通っているのである。
     
    このあたりを読んでいて、私は、井深大氏が書いたと言う、あのソニーの設立趣意書の5カ条目を思い出した。「・・・・・形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本意、人格主義の上に置き、個人の技能を最大限に発揮せしむ」と書いてある。そう、人に上下がつくものは、実力と人格以外には何もないのだ。さらにその上で、社員各自の自己実現こそが大切だと言っている。60年以上前の貧しかった社会を背景にしながら、井深氏はそう喝破した。しかし、今のソニーが、残念ながらそのような会社とは誰にもあまり思えない。その理念が、何の関係もないはずの今のワタミに活きている。歴史とは不思議である。そして、創業期のソニーは技術者中心で社員数十名だから、形式的職階などなくてもよいが、4千名以上になったワタミには当然職階がいる。その規模となっても、昇格、降格が、これほど能力本位に行われる例はまず見たことがない。私が、人材評価のセミナーなどで、受講者にいつも問いかけることのひとつが、「皆さんの会社では、昇格、降格は、以前の人事制度の時より、実力本位にフレキシブルになりましたか」と言うことだ。今でも下を向いてしまう受講者の割合が多い。能力本位の人事は、言うは易く、行うはまことに難いのである(当ブログの「実戦問答9 昇格はフレキシブルになりましたか」参照)。


    ■早くそうした失敗の経験を積んで 
    なぜまだ若く、経営者として脂がのりきっているのに、会長になって一歩退くのか、と言う問いには、自分の力が今こそ全盛期であるからと逆説に答える。百年続く企業とするためには、後進の人達に自分が後見できる間に経営の経験を積ませなければならないからだ、と続ける。この時点で政治に乗りだそうと思ってはいなかったかも知れないが、数十年先までの事業展開ビジョンを明確に描くことなどが、会長としての自分の役割になると述べる。ふつう創業社長にとっては、自分の会社はなまみの自分のからだと同体化しているはずだ。自分の人生のあかしであるはずだ。だからどんな意思決定にも必ず関与したいはずである。どうしてこのように自己客観化ができるのだろうか。彼だけは別あつらえの人間なのだろうか。
     
    しかしそうでもないようだ。著者本人も、「社長ほどおもしろくてやりがいのある仕事はない」し、「今でも居酒屋の現場が大好きだから、入っていって部下を指導したい」のだそうだ。しかしそれをすることは、自分を継承する人々が、指導の経験を積む貴重な機会を奪ってしまうことになる。そんな自分本位なことでは百年続く企業とすることはできない。だから、「自分の宝物」を渡すような気持ちで見守り、口を出さないのだと言う。この自制心、克己心は常人のものではない。そしてあまたの企業家や創業者の善悪とりどりの晩節の先例に深く学んでいることが明らかである。
     
    自分が会長となったあとは、すぐに自分の能力に代わりうるリーダーなどいないことは本人がいちばんよくわかっている。だから、経営判断を相互にチェックし合う集団指導体制を取るとしている。集団指導になれば意思決定が遅くなるマイナスはある。が、後進が経営に習熟できるメリットの方がずっと大きいと言う。もっと言えば、きっと経営判断を誤ることだって折々あるだろうが、早くそうした失敗の経験を積んで、経営者として成長していって欲しいと述べる。この大局観と部下への愛情には敬服するしかない。
     
    私は仕事がら、人事評価制度を設計すると言う場面でいつも以下のような趣旨を述べている。「『自律人材』となるまでの習熟期間では『失敗する権利』を認めた方がよい。若手社員に、励みのために目標管理等をやるのが悪いとは言わないが、あまりがちがちに評価に結びつけない方がよい。そうでないと、ミスを恐れ、手がちぢこまって仕事をするようになってしまう。いったい失敗をしないで成長する人などいないし、1度も失敗をしないで来た人に、恐くて大事な仕事は預けられない。」先日も、あるセミナーでこの旨を述べたら、終了後、ある受講者がやってきて「この『失敗する権利』というのはいいですね。自分の会社に浸透させるのはなかなか難しいのですが・・・・」とおっしゃっていた。
     
    私が言っているのは、ごく人事制度の話らしく、自律前の比較的若手社員の話だ。渡邉氏は、会社経営を継承させた最高幹部に「失敗する権利」を認めているのだ。何という度量か。

     ■戦う組織における部下の育て方

    厳しい会社だが、渡邉氏の部下を見る目の温かさは格別である。本書は、具体的な部下育成の実践面でも、誰しも考えさせられる応用性がたいへん高い。本書は4章構成になっているが、半分以上のページを、部下の育て方(第4章)に割いており、一読者から見ると、この章がいちばん面白い。部下の育成に関しては、おそろしくたくさんの数の本が出版されているが、この90ページあまりの第4章より優れた実戦書を私は知らない。それは著者が「機微」と言うことを重視していることに集約されている。場面と相手と話の内容が異なれば(機微の「機」である)、上司が取るべき態度はすべて異ならなければならない(「微」である)と言うことを、豊富な経験を踏まえて実に鮮明に描いているからである。これは「戦う組織」とまでゆかなくても、おおかたの「諸事うまくやってゆきたい組織」にあっても、大変妥当性の高い内容である。
     
    ほとんどのその種の本は、まずもって一般論どまりである。たとえば「部下を注意し、叱るときには、別室に呼んで他の人がいないときにしなさい」などと言う一般論はあまり役に立たないと私もかねがね思ってきた。が、この本でも、ほとんど同じ表現で渡邉氏ともあろう人が述べられているので、思わず笑ってしまった。少なくとも行動科学には、「状況理論」があって、時と所と相手が異なれば、上司の反応は異なるべきだと言う説は、ずいぶん前から確立している。だから、少し勉強熱心なマネジャーならこのことは知っている。しかし、その応用例を、ここまで活き活きと書いた例はまずない。そのくらい瞬時に「機微」にぴったり適合するのは難事だし、それが少しでもずれれば思ったように部下は育たないのだ。
     
    部下を叱責する時には、ひとしずくも私怨をまじえず、部下の成長を願う愛情を持って行うことが大切だと言う。逆にそれに一点も曇りがないなら、時に鬼となって、時には部下全員の前で、烈火のように怒らなければならないこともあると言う。そのような上司の親心を部下がわかった時に、真の人間関係が形成される。こうした例がふんだんに述べられているので、部下の指導に悩むマネジャーにはぜひ一読をお薦めしたい。中でも126頁の、「自分が部下を愛していないのに、部下から自分が愛されるわけがないではないか」と言う一文は、強く読者の心を打つとともに、あるいはこの本の主題ではないかとも感じられる。
     
    その渡邉氏ですら、抜擢人事では時に期待外れに終わって失敗したと言う。しかし「その理由もわかっている」。何とかこの部門を早く立ち上げたいなどと「自分の中に欲や焦りがある時に」判断を誤り失敗するのだと言う。この内省力の高さも読者としてうならされる。なにひとつ部下に帰責していない。私は、真の自問自答ができる人にはアクションラーニングは不要であると言ってきたが、まさしくその例である。

    さて、ワタミをほぼ離れた渡邉氏は、今後どのような活躍を私たちに見せてくれるのだろうか。同じ日本人として、その有為な才能、人格を適切な場に用いていって欲しいと思う。

  • 実戦問答No.21:「本当の話」と「お茶飲み話」

    ~アクションラーニングセッションの場づくりと迷い道~

    アクションラーニングの導入や運営に関し、その場づくりの進め方において他の手法とどう違うのかよくご質問を受ける。「『○○カフェ』」、『△△ミーティング』と較べてアクションラーニングは、どんな場づくりになるのでしょうか」と。そうしたことは、実を言うとあまり問題ではない。アクションラーニングも含め、それらの運営原理は、たいてい自由、信頼(守秘義務)、支援、対等などと、まず同じだろう。小異を言い立てるほどの徒労はない。私は「アクションラーニング」と言っているだけで、「○○カフェ」でも何でも、そうした原理を体得した経験豊かなコーチが実践すれば同じ結果になるだろう。

    どうもそのようなご質問を頂く例の多くは、何らかの手法を試したがうまくゆかなかったと言う場合である。聞くと、その「場」において、私がセミナー等で話している「本当の話」が出て来ない、と言うことが多い。「本当の話」と言うのは、「自分の責任で解決しなければならない現実に差し迫った問題を、ホンネで、かつ支援的に話し合っているか」と言う意味である。

    質問はたいていこう続く。「どうしたら『本当の話』が出てくるような場になるのでしょうか。」と。受講者が「本当の話」をしてくれないと言うのは、つまりは受講者が主催者を信頼していないと言うことである。「ここでホンネを語ってあとでどんな災いがあるかわかったものではない」「この場でホンネを出したところで何も解決するわけでもない。むだだ」と言った思いがおおかたである。

    それがわかっているのだから、解決するためには、信頼して欲しいほうから、つまり主催者から受講者に歩み寄って強く働きかけるしかない。その働きかけ、説得は、うまい手法を選べばしないで済むと言うことは、絶対にないのだ。ほとんどはそこに問題がある。そうした働きかけは、上記原理を暗記しさえすれば、誰でもすぐにできると言うわけにはゆかない。コーチ役に深い経験または強いサーバントリーダーシップのいずれかが必要になるからだ。その委細は拙著「アクションラーニング実戦術」に述べたからここでは詳述を避ける。ひとことだけ言えば、私はいつも、「ここは絶対安全な場なので、せっかく忙しい皆さんが集まったのだから、ぜひ本当の問題を語って欲しい」と強く熱意を込めて心から訴えているから、受講者が「本当の話」をしてくれるのだと思っている。

    ここではそのように真正面から取り組まず、よけいに迷い道に入ってしまうケースを他山の石として述べて置きたい。

    それは、「本当の話」が出てこないと言うことで、「話しやすい話」に切り換えてしまうことだ。経験の不足したコーチ、ファシリテーターが陥りやすい迷路である。「話しやすい話」とはつまりは「お茶飲み話」であり、もっとはっきり言えば「むだ話」である。せっぱつまった日常の中に少しくらいほっと一息の「むだ話」があってもよいとは思う。が、何も研修会に人を集めてそんなことをする必要はないだろう。

    どう言うことか言うと、たとえば、「実はこういう(特定の)部下がいて、どうにも私の言うことを聞いてくれないので本当に困っている。原因はいろいろ考えられるが、私はどうしたらよいのだろうか。」と言うのが「本当の話」である。「皆さん、部下を指導育成するにはどうしていったらよいのでしょうか。めいめい思ったことを言ってもらいまとめてみましょう。」と言うのが「お茶飲み話」だ。つまりは「一般論」でもある。違う例を言うなら、たとえば顧客の厳しい要求に苦しむベテラン営業マンが、「そうしたことを当社の技術部門に相談してもなかなか取り合ってもらえない。このまま時間が過ぎてゆくと顧客との関係がたいへん悪化してしまうが、私はそれを避けるためにどうしたらよいのだろうか」と言うのは「本当の話」である。が、「当社は部門間の協力態勢が十分でない。どうしたら互いに協力し合えるのか」と言うのは、この発言の主が社長だったら「本当の話」だが、営業職だったらやはり「お茶飲み話」である。

    「お茶飲み話」は研修としては時間の空費に近い。が、もっと困るのは、それがやがて「つくりごとの話」つまりは「ウソの話」になってしまうことである。「部下を指導育成するにはどうしたらよいですか」と「一般論」を聞かれたら、誰だって理想的な、絵に描いたようなことが言えるだろう。本当の問題は、それを「本当」に実践できているかである。誰だって百パーセント理想通り実践できるわけがないのだから、そこに必ず固有の具体的問題、困り事があるのだ。それを話してもらわなければ絶対に「本当の話」にはならないのだ。

    絵に描いたようなこと(ふつうの日本語では「きれいごと」と言うのだろう)をしきりに意見交換したら、とても意識改革になり見違えて行動も変わったと言う話は聞いたことがない。そういうことをいくら繰り返しても人も会社も変わるわけがないと、誰よりも参加した受講者のほうが皆わかっている。美辞麗句は、フォーマルな会議の時だけにして、たまにしかない研修くらいホンネだけのやり取りにしたいものだ。だからこうしたことを繰り返そうとすると、受講者のほうは「もういいよ」となってしまう。かくてこうした誤用により、アクションラーニングも含め「○○カフェ」、「△△ミーティング」「グループ××」も皆役に立たないシロモノとされ、「もうカンベンしてよ、仕事に戻してくれよ」と受講者達に言われることになるのである。

    こういうのは手法の優劣でも何でもないのだ。それなのに「『□□ダイアログ』」で失敗したので、今度は『●●ラーニング』がよいのでしょうか」などと質問されても、私も答えようがないのだ。

    この迷い道と正反対に、日頃鬱積しマグマになっている「本当の話」をして気持ちがすっきりし、仲間に支援されて問題解決への勇気が湧いたらどれほど素晴らしいだろうか。そう言う時は言うまでもなく成果が達成される確率は飛躍的に高まる。そうした場になるためには、繰り返すが、コーチやファシリテーターの経験と能力に深く依存するのであって、カタカナの手法ごとの少々の違いが影響する部分などそれに比すれば無に等しい。

    さて、別に研修に限らず、私たちは、いつも上司や部下と、関係者と、「本当の話」ができる関係を築くことに深く意を用いる必要がある。もし会社中でそう言う人間関係がいたるところに形成されていれば、アクションラーニングも含め「○○カフェ」も何も、もはや必要ないのだ。各人の役割を一心に果たすだけで、必ず組織は発展するはずである。しかしそう簡単にはゆかないから研修やトレーニングをする。せめてトレーニングの時「本当の話」ができなければ、現実世界の日常で「本当の話」は決してできないのだ。私たちには、会社内外に「本当の話」をすぐさまできる人がどれだけいるだろうか。その数はまさしくサラリーマンとしての実力そのものであると私は思っている。

  • 読書日誌3:「挑戦する経営」千本倖生著

    この著者千本倖生氏と言う名は、かつての通信自由化、電電公社民営化の時代、今は日本航空の会長を引き受けられた稲盛和夫氏が、京セラの社長として、乾坤一擲の大勝負として第二電電への進出を果たされた時のパートナーとして、記憶に残っていた。
     
    と言うより、私も、数多い稲盛和夫ファンの一人であり、その自伝、評伝をずいぶん読んだのだが、その一代の企業家人生の物語の中で(まだ完結していないが)、いちばん読者が血わき肉躍る部分が、その第二電電設立から、KDDIにまで成長してゆく過程の、特にその前半ではないだろうか。その一代記の白眉たる部分において、カリスマ経営者に見出された千里の馬として登場したのがこの千本倖生氏である。
     
    だから書店で見つけて迷わず買い求め、一気に3度読んでみた。そのくらい中身が濃い。
     
    私の感想をひとことで言ってしまえば、こんなスーパービジネスエリートがいるのだろうか、に尽きる。そのくらいそのご経歴は華麗にして鮮烈である。それでいて、著書から伝わって来るお人柄には、少しも選良意識がない。高潔な人格と、たぐいまれな能力とを、同じ器の中に少しも違和感なく盛っておられるようだ。私のようなごく平凡な人間には少し想像の着かない域である。
     
    どのくらい華麗かと言うと、京大を優秀な成績で卒業し、電電公社に入る。2度にわたり米国に留学し猛勉強し、その中でも秀才をうたわれる。日本に戻って重要な部局を歴任しつつ、やがて通信自由化の時代に遭遇した。ついには稲盛和夫氏との邂逅を経て、電電マンでありながら、電電公社のライバルとなる第二電電(DDI)を設立。これがエスタブリッシュな存在になると、惜しげもなく地位を捨てて今度は慶応ビジネススクールの教授に転じる。第二電電のサクセスストーリーは、時代のケーススタディは、あのハーバード大学に2度も採り上げられたと言う。せっかく就いた教授職も、4年あまりで退任し、イー・アクセスを起業し、日本におけるブロードバンド普及に大きく貢献した。もう落ち着くのかと思うと、今度は、イー・モバイルを設立して、モバイルブロードバンドの概念を現実化した。後半ふたつの企業では、何百億円、何千億円と言う起業資金を、幾つもの国際的ファンドから、ビジネスを遂行する人間の能力とそのプランだけで次々と引き出して来てしまう。まるで神業である。
     
    それにしてもやはりいちばん面白いくだりは、第二電電設立のくだりだった。1980年代初頭、電電公社民営化が議論の俎上にのぼり、電電公社生え抜きではない、時の総裁真藤恒氏も、民営化を支持する方向だった。が、内部には、強く保守的な考えも多い。そうした中で、千本氏はそのまたさらに先へ突き抜けて行ってしまう。「電電公社民営化だけでは不十分だ。きちんとした競争力を持つ競争相手が存在しなければ、日本の通信事業の未来はない」と言う信念を持つに至ってしまった。人はやがて千本氏を「異端者」と呼ぶようになった。これはごく平凡な日本人である私には、命名の方が正しい?ように思う。
     
    どこの世界に自らが拠って立つ権益の内側にいながら、その基盤に挑戦を許す相手を育てようとする者がいるだろうか。この本にもたびたび名前が出てくる、孫正義氏が、自由な立場から幕末の志士のごとく権力や既存権益に挑戦するのとは全く意味が異なるのである。そうした志士達を陰ながら支援した勝海舟ですら、幕府滅亡まで幕臣の立場を貫いた。時代背景は異なるが、千本氏のこの後の行動はそれを超えている。この時千本氏は、さすがに明確に表現していなが、そのイニシアティブを取るのは自分以外にはいないと言うもうひとつの信念も育てていたのではないか。
     
    若いころの千本氏は、ごく普通のとびきりの秀才(奇妙な表現だが)だったように思える。だから電電公社と言うこれ以上はない安定基盤を持つ保守的組織に入ったはずだ。ところが40才前のこの時点で、こうも進取の精神に満ちた人物になっていた。こうしたご自身の変容にはあまり多くの筆を割いていない。私のような仕事をしている者にはむしろそうしたプロセスに関心がゆく。人はどうしてそこまで変わりうるのか、と。誠実な秀才が革命児になってしまった。眠っていた資質が、変革の時代に遭遇すると呼び覚まされることがあるのだろうか。ライバル孫正義氏のほうは、その評伝を読む限り、どうみても少年時代から革命児である。
     
    千本氏は、米国留学中の体験の影響を述べられる。それは大きな刺激ではあったろうが、ごく若い時分のお話である。やはり、電電公社の中堅管理職となってから、任務の性質上どうしても政治絡みの案件が多いから、政治家や官僚、労働団体の方々とのなまなましいやり取りが増える。そうした場面を通じて彼らの「内臓の中をのぞいた」体験が大きく影響しているように見える。そうした経緯に関してはまだ語れないことが少なくないと言うのは当然だろうが、われわれ読者には残念なことだ。
     
    そしてついに機会は来た。1983年、通信業界の変革に関するセミナーを京都で行った。講演後、それを聴講していた京セラの社長だった稲盛和夫氏が、千本氏に歩み寄った。稲盛氏は千本氏の異能をすぐに読み取ったに違いない。たちまち意気投合となった。私の手元にある別の本には「おまえさんんみたいな型破りは、電電公社のようなところでは収まりきらんと違うかい。」とさっそくスピンアウトの招請に近いことを言ったという。数度稲盛氏と会ううちにすっかりその力量に引かれた千本氏はついに切り出した。
     
    「二番目の電話会社を民間でつくりませんか。」
     
    現職の電電公社の、異端児とは言えエリート職員の発言である。その際、経営とおカネを稲盛氏に支援してもらわねばならない。
     
    「最初の数年で、1千億円は必要になります。」
     
    千本氏のプランを聞き終わると、稲盛氏には珍しいはずの嘆息を漏らし検討を約束した。このあと、稲盛氏が自分の決心をついに純粋に結晶化し、私心を捨てて国民の利益のためにこの事業に乗り出していった過程は、稲盛氏関係の書物に詳しい。当時京セラのフリーキャッシュフロー、つまりは金庫に入っている自由に使えるおカネは1500億円だった。
     
    「そのうち、1千億円をおれに使わせて欲しい。」

    と役員会で言ったという。カリスマ経営者の面目躍如である。その時点では、蟻(京セラ)が象(電電公社)に戦いを挑むような実力差であり、無謀と評する識者が多かった。失敗すれば、京セラは跡形もなく消え失せてしまう可能性も現実味を帯びる。私などはその場にいた他の役員達の気持ちがどんなだったろうか聞いてみたいものだ。「30年近くいばらの道を歩んでここまで育てた会社なのに、何もここでいちかばちかの賭をしなくてもよいではないか」と思った人がほとんどなのではないか。しかし稲盛氏の決意はもはや岩より固い。
     
    こうして稲盛氏との邂逅により、千本氏はついにルビコンを越える決心をした。その決心をただ一人の人物に伝えておきたかった。それは公社総裁である真藤恒氏である。しかし、職階序列で言えば雲の上の人だ。一計を案じた千本氏は、大阪発東京行きの飛行機で、真藤氏の隣の席に滑り込むことに成功する。ほんの少しの面識しかない若造が総裁の隣に座ったのに、真藤氏は不興がらずに平然とした態度で問うた。 
     
    「私に何か話があるのか。」
     
    千本氏はかねての持論をゆっくりと伝えた。民営化された新電電には強い競争相手が必要である、と。真藤氏は穏やかに聞いていた。そして一息入れて千本氏は言い切った。
     
    「そう言う会社を私がつくろうと思います。」

    「えっ」

    と言って真藤氏が、鋭く千本氏を見た。これには剛腹な真藤氏も驚いたろう。稲盛氏と一緒にやりますと言うと真藤氏はうなづいた。千本氏は、厳しい叱責を覚悟でこの場に来ていた。しかし真藤氏は最後に言った。
     
    「私は現役総裁だから、ライバル会社をつくることは賛成はできない。しかしそこまで国の将来を考えておまえが稲盛君とやると言うなら、私は黙認する。」
     
    アクションラーニングのセッションの間のように、この真藤氏の最後の言葉の重大さを、氏の立場に照らして、しっかりこのブログの読者とともに味わいたいものだ。私はこのブログのつい最近の「実戦問答19」で、人の上に立つ者の度量と言うことを論じた。真藤氏のこうした態度を「大度量の人」と言うのであろう。こうした大度量に接した千本氏の感動はいかばかりであったろうか。そしてその後の第二電電立ち上げの辛苦にあって、この真藤氏の言葉がどれほど心のささえになったであろうかは想像に難くない。それから30年近く、残念ながらどうやら収縮期に入ってしまったらしい日本社会では、こうした大度量に出会える確率が減ってしまった。
     
    こうしてスタートした第二電電、DDIは、今日のKDDIの隆盛から逆算してしまうと、当時の当事者達がたどった苦難の道は想像が着かない。そうした中で、あの稲盛氏が、わかっていたたことではあっても当座はおカネが出て行く一方なので、幹部にはいらだちを隠せない場面もあったと言う。と言って、大きな流れとしては、その堅忍不抜としたたかな計算力に深く敬意を表している。私は、千本氏に、もう少し稲盛氏の具体的な言行を記述して欲しかった。現存至高のカリスマ経営者稲盛氏を評することのできる有資格者などそうはいないからである。
     
    私はスーパー「ビジネス」エリートと千本氏を評した。上級公務員試験等のキャリア組の秀才官僚といちばん違うのはこの前後からの千本氏の言行である。表現を変えれば、本書が魅力あるのは、こうした事業立ち上げの場面で、千本氏が、自らどろどろになって多くの部下と艱難辛苦を共にしてゆく場面に満ちているからである。頭脳が異能であるばかりか、リーダシップも抜きんでて発揮できる人だったのだ。
     
    本書の最後の方で、自戒をこめて千本氏は述べる。日本の経営者はウェット過ぎると。この「読書日誌」の前号にて採り上げた伊那食品工業の、塚越寛会長は良い意味でその最たる例かも知れない。経営者の判断基準の第一は、株主のベスト、第二は事業の将来性、感情は3番目であると。この場合の感情とは、塚越氏と同様、従業員や仕入先との信頼関係を何より大切にする気持ちを言う。千本氏も、情義をとても重んじる人である。その温かみが、本書全体に貫かれている。それでもこう言わねばならない。千本氏のたどった軌跡からは、それを言う資格があるのだ。そしてIT業界における株式公開企業とはそうでなくてはならないのだ。伝統の家業が徐々に発展するのではなく、最初から百億円千億円の単位で株主に出資を求めなければ成り立たない事業であるからだ。
     
    そんな凄まじい世界にはやはり偉才異能にして行動力もまた抜きんでた千本氏のような人物でなければ、この成功は成し遂げられなかったのだろう。読み終えると、ため息が漏れる逸書である。

  • 月刊人事マネジメント連載記事その6:アクションラーニングの成果を検証する

    〜連載:横山太郎が語る現場のアクションラーニング〜

    第6回 アクションラーニングの成果を検証する

    アクションラーニングは速効性が高いことを、第3回のこの稿にて述べた。普通の研修や能力開発に比して、まず何よりそれが検証された成果である。そのような成果は、真に訓練され、組織内部の実戦心理学がわかった適切なコーチに依らなければ得られないことを、第4回の稿で論じた。

    アクションラーニングにより、眼前の危機を克服すると言うのは、むしろいちばん普通の成果である。だがそれも、そうなるような「場づくり」が前提であることを第2回の稿に指摘した。前回(第5回)は、つくりあげた場にあって、供される質問が適切であれば、一層うまくゆくと述べた。こうした際、あまり時間のない時には、まず何より、本人自身の問題解決を通した行動変容に焦点が当てられるべきで、時間等の資源を十分得られている時には、組織風土変革だとかマネジメントチームビルディングに十分挑戦できると第1回で述べた。

    従って、最終回の今回の主眼は、以上のような成果の定着と言う側面である。

    危機を迎えた時ですら、人は現実をまっすぐ見ようとしない性癖を有していることは繰り返し述べてきた。それを仲間の共有、支援の上に立ってしっかりと見つめなおし、真因、本質に斬り込んでゆくことができれば、問題は解決し、人は成長する。公平に言って、ここまで、つまり仮に1回、2回の単発の研修だとしても、これは他の教育手法にはない大きな成果であることをまずご理解頂きたく思う。ここでは一層欲張った成果を述べようとしている。

    繰り返し刷り込むことの重要性

    ピンチを苦しんで乗り切った時、そのプロセスにおける学びを、私たちは明確に自分の肝に銘じているだろうか。

    そうした行動をごく自然に定着させている真の自主独行の人材になれば、もはや教育などは必要ないので、ひたすら成果業績を挙げ続けて周囲の人々を幸せにすればよい。しかし、私もそうだが、たいていの人は、喉元過ぎれば熱さを忘れると言うたとえ通り、危機を乗り切るとまるでそれがなかったかのように忘れる。そればかりか、いったん高められた自分の行動の質が、また元に戻ってしまうと言うことも起きる。これはとてももったいない。ではどうすればいいか。

    きわめて当たり前なことだが、繰り返し、そのいったん現れた良質な行動パターンを自分に刷り込み、もはや動かしがたいものとするしかない。そこまでゆくと、会社としては個々人とせめて上司の努力任せにするしかない面もある。が、望ましい行動の定着に向けて、会社が多少は支援できるとなおよい。ただ、ここに組織人教育の現状のひとつの根本的な問題があると思う。繰り返しと言うことをとてもむだなことだとして忌み嫌うのである。そして次々と目先を変えて、様々なカタカナ言葉のスキル習得にトライすることが、あたかもメニュー豊富でよいことのように捉えられる。その中には、はっきり言って首をかしげるような内容も少なくない。

    その結果、食堂のメニューを批評するように、このコースは面白い、あのセミナーはつまらない、さらにはあそこの研修施設は立派だ、食事がおいしいと言った受講者アンケートを取って研修の成果を確認しようとする。こうした状況を、かのコーチングの神様、ゴールドスミスは、諧謔をたっぷり込めてこう評する。「私たちコンサルタントや、研修施設の従業員が一層自分を高められるたくさんのフィードバックをどうも有り難う。ところで、受講者の皆さん、あなた達は自分自身についてはいったい何を学んだのでしょうか。」

    良質な行動を刷り込むには繰り返すしかないのだが、アクションラーニングはその点が大変都合よくできている。問題と言うものは、行動の質が高まろうと変わるまいと、いつも起きるからである。問題にどう取り組むかを事前事後に深く考えることこそは、その人の能力開発を定期実施しているようなものだ。アクションラーニングは、そこにぴたりと整合して乗ることができる。ある人が、1度目のアクションラーニングにて、仲間の共有、支援により切実な問題を克服したとしよう。数カ月して、同じメンバーでもう一度フォローアップ研修を行い、その人が、その時点の新しい中身の違う問題を提示したとする。本人は、前回よりもっとひどい問題で、本当にまいったよと訴える。

    他の研修と異なるのは、ここまでのプロセス自体を、1度目の研修とほぼ同じくらい新鮮な意識で取り組めると言うことだ。なぜなら、問われている本質は同じであるが、論じる事例の内容が全く異なり、かつ自分が当事者であるからである。他の研修では、全く同じ形式で繰り返して同じくらい新鮮になると言うことはまずあり得ない。たとえケーススタディを変えても、そうはならない。それほど自己固有の問題は、ここでもインパクトが強いのである。

    問われている本質とは言うまでもなく自分の行動がどう変わったかである。見事鮮やかに変わっていればよい。もちろんそういう人もいる。しかし、そうでない場合もある。セッションを1,2時間行ったあと、他のメンバーが「君、どうも問題の本質は前回と似ているようだね。」と言うときもある。どう似ているのか。要するに、無意識に自分の弱点が作用していたり、見たくない現実をしっかり見すえていないと言った、行動の質のことである。かんじんなことは、言われた方も、前回よりはその自覚がずっと速くなる。「私も今しゃべりながらそれに気づきましたよ」などと言う人もいる。そういう意味では正確に言えば変わっていないのではなく、変化途上にあるのである。こう言うことを幾度か繰り返してついに人から言われなくても、問題解決に取り組む前に気づく自律人材となるのである。

    そうして、一人また一人、自律の気配を濃くしてゆく。やがてメンバーのおおかたが、ごく自然に「もう先生(コーチ)に来てもらわなくてだいじょうぶだ」と感じる瞬間が来る。私はその時その組織を辞去する。また、時間を置いて彼らにお会いして、自分で敷いた軌道の上を大きく成長しているご様子を見るほどの喜びはない。

    現場への深い関与と情熱が大事

    コーチの重要性を述べた第3回の原稿で引用した、デービッド・ケーシーは、行動変容の真の定着には1年半から2年かかると言っている。そして彼は言う。「重要な社員達がそのように変化するために、コンサルタントを10日や20日呼ぶコストなど物の数ではない。」仮に20度呼んだとしても、幹部候補生の社員の幾人もが、向後10年20年行動を自律的に変えられるようになれば、その経済的効果は、まず数百倍はあるだろう。但しその10日間なり20日間を、新奇のカタカナスキルを身につけるためではなく、意味のない形式的な報告書づくりに奔命せず、自分自身と仲間の行動を深くふり返ることにどっぷり漬かって用いたらの話である。

    だから私は、何の条件もないなら、最低半年、できれば1年以上、毎月同じメンバーでやってみましょうと申し上げるようにしている。そのための人選が重要である事は言うまでもない。それといくら守秘義務でも、本当に1対1で向き合わなければ出て来ない話はもちろんあるので、チーム形成のために必要な個人面談も補完的に行う。時間はすぐに過ぎてゆく(しかし、コーチングのように1対1だけを続けていても、当然効果は局限される)。こうして、個人の行動変容が輪となって相乗し、最後には風土改革、マネジメントチームビルディングにつながる。

    そうは言っても機会均等を重視しなければならない大企業の教育担当者としては、以上のようには進められないことも少なくない。この場合は、階層研修として実施し、それでも初回より時間を短くしても1度はフォローアップをしましょうと申し上げてなるべく計2度は集まるようにしてもらっている。もう一度言うが、これでも、一般の研修よりははるかに速効性が高いのである。

    この場合、その上をさらに望むならどうすればいいのだろうか。理想的には、上記のような繰り返しの刷り込みを、所属部署にビルトインすることである。しかし、こうした方法は、往々にして本社向けのもっともらしい報告書を書く事が目的化してしまう。やはり教育担当者自身が深く関与して、受講者のその後の行動を確認し、励まし、支援することがいちばんである。この役割を社内コーチと呼んでもよいだろう。同じメンバーで再度集まるのは難しいかもしれない。だから、一人一人を追いかけるのだ。全員追いかけるのが無理なら何らかの基準で選べば良い。

    そうした熱意をお持ちの教育担当者であれば、逆に私は、最初からアクションラーニング研修のセッションに加わって頂くようお勧めしている。もちろん守秘義務等の原則は同様に守って頂く。他の受講者もそうした情熱をお持ちの教育担当者なら、彼をメンバーとして受け入れ、通常のアクションラーニングと少しも変わりなくホンネを語るものである。

    私はこれからの教育担当者は書類上の企画や効果計測はほどほどにして、こうした現場にもっと出てくるとよいと思っている。現場以外に価値が産まれる場所がないのは、何も製造や営業、開発だけの話ではない。教育も全く同じである。人の成長にじかに関われると言うことは、デスクワークよりも、ずっと心が揺すぶられることだろう。

  • 実戦問答No.19:人事考課における上司の度量と納得性

    ~人が育つ上司の、評価における態度的特色~

    今回も人事考課の話を続けたい。
     
    この数年、人事考課研修をお手伝いして感じることがある。それは上司の度量と言うことだ。だいたい「度量」「広量」と言った美しい日本語も使用頻度がだいぶ減ってきて残念に思う。せいぜい「包容力」であるが、これはいまだ意思的であり、度量、広量と言えば、もはや自然に身についた語感だから、マネジャーとしてより習熟成熟が進んでいるように思う。「力量」、「器量」と言うことばもあるが、こちらだと、業績を上げる能力、戦いに勝つ抜きんでた能力を濃厚に含むだろうから、資質才能に左右される範囲がずっと大きくなる。だが「度量」なら、努力だけでもかなり身につけられるのではないか。

    ■部下の落ち度を見つけたくてしかたのない上司Aタイプ
    人事考課研修は、通例ケーススタディを用いる。そのケースの人物の行動や成果を評価するわけだ。そのケースのどのポイントに着眼するかは人の自由と言えばそうなのだが、どうあっても部下の落ち度が見つけたくてしかたない人は、一定割合必ずおられるものである。私はこの仕事を始めて20年たつが、その割合は残念ながら?少しずつ増えてきたように感じる。昔の上司に比して上述「度量」や「包容力」が少し足りないわけだ。
     
    仮にこの種の上司を上司Aと名づける。ことわって置きたいのは、別にこれは全人格にタイプのレッテルを貼っているわけではない。むしろお人柄なら、この手の人は、温かみがあって他人に親切なことも少なくない。ところが部下を見るときの態度が違って来るので、その部分だけを指して言っている。
     
    どんな立派な人物でも、弱点のない人などいないだろう。ましてや、発展途上の未成熟な部下だ。ケーススタディを読んで、欠点短所を探せばいくらでも出てくる。そんなに欠点短所が多ければ、評価も低くてよいではないかと感じられたかも知れない。欠点短所を探すなとは言わないが、かんじんなことは、長所利点を探すエネルギーを、それと同じ程度以上に注いだか、である。だいたい上司Aは、短所を探索する半分の力も長所を探すために用いない。それでは公平な評価にならない。
     
    仮に同じだけ力を注いだとして(既に上司Aには大変難しいのだが)、なにがしかの長所が見つかったとしよう。今度は、先に見つけた短所と長所とのいずれが大きいかと言う、きわめて当たり前な比較衡量を行わなければならない。ただ、上司Aは、今度は、自分が気になってしかたのない弱点をついつい過大に見積もる。それが客観的にいちばん重要な点なら問題ないが、気になってしかたない点と言うのは、だいたいにおいて上司の情念が色濃く表出される箇所だから、結果としてたいていそうはならない。情念とは、好悪とほぼ同じ意味だからである。
     
    要するにハロー考課である。ハロー考課と言う言葉と概念を説明するのはさして難しくない。何が難しいかと言えば、それに陥っていることを自分で気づくことである。人は誰しも経験に根ざした価値観を持っている。価値観と言うと、ミッションステートメントに、これが我が社の価値であり、信条だと、普通は美しいしらべを伴った文脈で語られるかも知れない。しかし、価値観は良い面ばかりではない。特にこうした評価の場面では、むしろ限られた経験に限局された価値観は、視野の狭さ、判断の誤り、固定観念につながることが多い。

    ■より大局的に部下を見る上司Bタイプ
    自分で気づかなければ、他人が気づかせるしかない。以下のような会話をあるある会社の人事考課訓練のグループ討議中に横にいて聞いていた。ケーススタディの主人公は、セールス専門職的営業係長である。  「顧客からのこのような値引き要請を社に持ち帰らず、上司の事前承認なく、受け入れたのはおかしい。」と言ったのは、上司Aタイプのようだ。それに他の上司が反論する。こちらを上司Bとしよう。
     
    「あんた、この場合にそんなこと言っておったら、商売にならんと違うんかい?」
     
    「しかしこの額の値引きは、通例管理職の権限と思いますが。」
     
    「そやからそれを言うたら、『そんなもたもたした会社やったらもうええわ』と言われてしまうで。この商談、落としてもええんかい。」
     
    「いや、それは困ります。」
     
    「だからそんなもん、あとで追認したらええのや。おまえ、ようその場でまとめて決着させてきよったと言うて。」
     
    ケーススタディにおける状況は、実は相当さし迫っていた。従って、事例の主人公は、自律的に判断し、やむなく自分の責任で、すぐさま要求を受け入れていた。少なくともそう言う剣が峰に立った状況であると理解していた受講者の割合のほうがずっと多かった。
     
    「しかし、それではけじめと言うものが・・・・・」
     
    「これだけ力のあるベテランの係長を、あんた、そないに信頼できへんの?」
     
    「・・・・・それにしても、その場で値引きの幅をもっと狭めるとか、そう言う努力をしていない。」
     
    「この状況でそんなこと言うたら、商談全体が御破算(ごわさん)になるんとちゃうの?」
     
    「・・・・・いや・・・・・そんなことにならないように、うまくやらないと・・・・・」
     
    「こんなせっぱつまったところで、あんたそんなことできるんかい?わしはようやらんわ。」
     
    「・・・・・」
     
    どうやら二人は、それぞれ、関東出身と関西出身らしい。そして会話が本質に近づいた。この場合の係長の行動が○になるのか×になるのかは、会社の方針によって結論が異なってもよい。ただしどちらを取っても、上司の態度は一貫していなければならない。不公平な評価と言うのは、最後に上記のように「あれもこれもうまくやってくれないと困るのだよ」と言う語尾がくっつくことが少なくない。この場合の公平さと言うのは、係長の立場に対してどれだけのレベルの期待や責任を課してよいかと言う意味だ。この例だと上司は何もリスクを負わなくてよいと言うことだ。そんなうまい話はない。相手は、営業担当役員でも営業部長でもない。1係長である。この場合×をつけるなら、一貫して部下に以下のように言えなければならない。
     
    「君ね、お客様の言いなりになって値引きをしてはいけないので、ひとねばりふたねばりしてこないといけない。それが営業と言うものの本質で、そうでないとお客様ともよい関係が構築できない。それでもし結果として失注になるなら、それはそれでしかたない。それは君の責任ではない。」
     
    この考えと、かなり難しい事柄を「あれもこれもみんなうまくやってくれ」とでは、どれほど公平さに差があるか、どうか味わって頂きたい。そして、部下への動機づけに至っては天地の差となる。
     
    さて仮面を取ってみると、もっと評価と言うことの本質に近づける。この場の上司Aは、現職の営業所長、上司Bは、工場長であった。普通なら意見が正反対になってもよさそうだが、なぜか逆になった。ひとつはっきり言えることは、この営業所長は、自分の過去の経験に基づく価値観から逃れられないまま評価をくだした。工場長は、そう言うものから解脱して自由かつ素直にストーリーを受け止めて評価を付した。会社としての結論的正解をどちらにするかは別として、評価者個々人の取るべき態度としては、周囲で聞いていた人には学びの多い会話となった。
     
    さてもう少し会話が続いた。上司Aはまだ納得できないのだろう。今度は少々周辺的なことを指摘した。上司Bは言う。
     
    「おいおい、そんな細かいことはどうだってええやないか。」
     
    「細かいと言うことはないでしょう。」
     
    「おまえさんの部下になるのは大変だな。成果を上げるよりも、いつもハシのあげさげ、一挙手一投足に気をつけとかんといかん。」
     
    「そんなことはないが・・・・・」
     
    「さぞ品行方正な立派な部下が、毎度育つのやろうなあ(笑)」
     
    こうなるとまわりの他のメンバーもげらげら笑うことが多い。さしもの上司Aもばつが悪い。  

    さて以上の会話において上司Aにいろいろ指摘した上司Bは、より抽象化、標本化すると、部下の成果や行動をより大局的に見る上司、つまりは度量のより大きい上司と言えよう。結果論で言うと、評価の正確さは極端な差にはならなくとも、部下の育つ度合いがぐっと変わる。これが大きな違いだ。上司Bにはどんな態度的特色があるか。以上からぬき出して行くと以下5点である。
     
    ■部下の行動と成果を大局的に見る
    第一に、評価する前に、その枠組みを大局的に確認している。上記会話で言うと、係長が、差し迫った状況下で自らの責任で最悪(失注)を回避するために行動したことを是と認め、成果極大化の面、手続厳守の面、交渉方法の細部の面などの、何もかもうまくやると言うようなことは、一般の係長としての期待役割を超過したものと判断している。ここは目立たないが恐らくいちばん重要な点なのである。もちろんそのような差し迫った修羅場を自らの過誤で招いたなら評価は別だが、このケーススタディはそうした種類のものではない。
     
    少なからぬ割合で、上司は、こうした前提を確認する前に、設定した目標のできばえ、つまりは達成率、打率を測る。プロ野球とアマチュア野球で、同じ打率を残したからと言って同じ値打ちと思う人は誰もいない。与えられた課題が係長相応だったか、難し過ぎたかやさし過ぎたかを考えないで、打率だけで評価したらそれは当然不公平である。全ケーススタディを読んでいない読者にとっては、難し過ぎたかやさし過ぎたかはわからないかも知れないが、上司Bにそれを判断しようとする観点があったことはご理解頂けると思う。ここで言いたいのは、そうした観点を持って評価に臨む上司の方が少ないと言うことである。

    ■評価と改善の混同を避ける
    以上の延長に出てくることでもあるが、第二に、その部下の行動を見るときに、上司Bは、過去の評価と未来の改善を混同しない。仕事の改善のネタは、よく言われる通り無限にある。それを指摘したり要望したりすることと、過去の事実を評価することとは全く別次元である。が、上司Aは、そこが癒着してしまう。つまりは後講釈が多い。「この時こうできたはずだ、あの時ああすればよかったのだ」と言うのが言い出すといくらでも出てくる。この場合で言えば、「値引きの幅を交渉すべきだった」がその例だ。
     
    自分の行動をふり返ることはとても大切だが、評価のように自分以外の他人の行動をふり返るときに、冷静、公平を堅持できる人はさほど多くない。聞いていると、その多くは、その時点の枠組み、制約条件では、あまりほかにやりようがなかったことが多い。その枠組みを変えるための将来に向けての改善なら明るく前向きに話せる。が、その時点ではなしえなかったことを指摘されマイナス評価されると、部下は、次から努力することそのものをあほらしくなってやめてしまう。それはそうだろう、やってもやらなくても低い評価なら「やらないほうがトクだ」と誰でも考えてしまうではないか。ここが2タイプの上司が、部下の心理の理解に大きな差が生じる点だ。そして何もしなければ失敗も起きないから、減点も食らわずかえってトクをしたと言うことが、上司Aのもとでは起きやすいのだ。  

    ■育成の途上のステップ
    第三に、上司Bが持っている態度は、評価と言うものは、本来、未成熟な部下を一層育てるために、現時点の人物像を正確に捉える途中のステップに過ぎないと考えていることである。上司Aは、精密な評価をもってプロセス完結と思っているふしがある。評価と言うのは、枝葉末節は別にして、本質において正確公平であればよいので、むしろ問題はそれを部下が深く受け入れ、自らの向上に役立てようとするかどうかが最後に重要である。上司Bはそこを見ている。上記の例では「こんなにがんばってる係長を信頼しないのか」と言う旨の発言にそれが現れている。この実戦問答の前号では、同じ部下を預かり続けるなら、評価が正確になるのは当たり前なので、部下が伸びて成長してナンボであると言う旨を述べた。上司Aは、逆に、評価が正確であれば、もしそれを受け入れない部下がいたとしたら、相手の性格や人間性の問題に帰したがる。
     
    時にはいくら努力してもわかりあえない部下もいるだろう。何か根本となる背景が全く異なる場合だ。だが、そこまで上司が努力しているならば、周囲の誰しもがそれを肯定的に見ているものだ。
     
    ■微細な行動は論じない
    上司Bの第四の態度的特色は、本質と関係ない微細な行動は、プラスマイナスを問わず、ばっさり捨ててしまって論じない。人の評価は、3つないし多くて5つくらいの最重要な事実に基づいて決めるのがよいだろう。細かいことをあげつらって全部帳簿に載せて帳尻を合わせようとしたら、時間がいくらってもできないし、説明の時混乱してかえって説得力を損なう。上記の会話の最後の方の「あなたはずいぶん細かいことを言うのだね」はその好例であった。
     
    いろいろな事柄が気になってしかたのない上司Aには、次の自問自答を行うことをお勧めしたい。「今、あなたが気になってしかたのないことは、彼を評価する上で、口に出して言わねばならないほど重要な事柄なのだろうか」と。そうでないのに言いたいがために言えば、あなたの上司としての権威と信頼を高めるゆえんとはならないだろう。最初の方で述べた情念考課、ハロー考課は、なるべ避けたい。  

    ■しっかりと受け止める
    第五に、これは上記会話からは看取できないが、私の経験上明らかな点として以下述べておきたい。上司Aは、評価のフィードバックにおいて、もしも部下から反論があれば、どうあってもそれを論破し、言い負かそうとする。そうしなければ自分の地位が冒されると、途中から錯覚してしまっている時もある。ほとんどの場合、部下は上司に甘えて依存したいに過ぎない。それを全部はそのまま肯定しないとしても、何も本気になって言い負かし、屈伏させる必要など少しもない。
     
    これに対して上司Bは、そうした場面で概して鷹揚(おうよう)である。部下とは今後もずっと密接に意思疎通して協働してゆかなければならないのだ。その部下が少しはまともなところがある人間なら、上司である自分とのキャリアの差はわかった上で反発しているに過ぎない。そんなことをいちいち真に受けて斬り結ぶ必要など少しもない。しっかりと部下の感情を受け止め、傾聴する。上記第三の育成的態度の結果、自然にそうなる。「まあ、君、言いたいことはよくわかったよ。」と言う姿勢が基本にある。「君の努力は誰より私が知っているよ。その君でも今回は力が及ばなかったのだね」と言う人もいる。上司にそうした態度をされていつまでの一句一節の評価評語にこだわり続ける部下がいるだろうか。もちろん日常の部下への支援は、こうした意思疎通を成り立たせる絶対の前提だ。
     
    このような情景は、つまり何だろうか。
     
    そう、評価と言うのは、誰しも言っている通り、最後は「納得性」だけが問われるのである。人事制度論から言えば言い尽くされた平凡な事かも知れない。だが、この凡事を、ひとりの上司として貫くのは、さほどたやすいことではない。表現を変えれば、どのマネジャーも、空気を吸うようにこれが自然にできるという会社はまだ見たことがない。ゆえに、人考課研修のお手伝いを引き受けると、いつも終盤には焦点をここに移したフィードバック面接等のトレーニングをする。意を通じない評価は、たとえそれが「正解」であったとしても、残念ながら値打ちを生じないのだ。誰しもそれを改めて知る場面である。会社の体力を高めるのは、新奇なローマ字の手法ではなく、こうした基本の鍛練である。

    ■部下が動機づけられる度合の大差
    もう一度念のために言うが、以上は、上司が2タイプしかいないと言う意味ではない。評価と言う問題に直面した時に現れるふたつの標本パターンを述べたので、たいていの人は、その間のどちらか寄りに位置することになる。
     
    さて、私の経験上、評価そのものの客観性、公平性は、ハロー効果やいわゆる厳格化傾向が薄い分だけ、上司Bの方に少し分があるだろう。しかし部下が動機づけられる度合いとなると、以上のように大変な差を生じる。大変な差が1年ならまだいい。それが3年、5年10年となったらどれほどのことになるだろうか。ここがこの小稿の訴えたかった点である。
     
    私たちは、さらに精密な評価よりも、評価と動機づけにおける今一層積み増した度量を求められるステージに差しかかっているように思う。