カテゴリー: 読書日誌

  • 読書日誌7:「ダントツ経営 コマツが目指す『日本国籍グローバル企業』」坂根正弘著

    いま製造業でもっとも光っている会社のひとつが、この建設機械の大手コマツではないだろうか。そのコマツを実質10年以上率いたのが、著者坂根会長である。
     
    本書は、コマツの改革ストーリーであり、かつ、グローバル経営の実戦論にもなっている。読む者をして飽きさせない新鮮なマネジメントの事例が次々に現れる。
     
    コマツも、著者が社長を引き継いだ時には、たとえば自動車の日産のように大変な経営危機に直面しており、その克服には大変な辛苦が伴った。著者は、オーナー経営者ではないし、日産のカルロス・ゴーン氏のように危機に当たって外部招請された雇われ経営者でもない。会社はえぬきの経営者のおひとりである。そう言う背景の経営者にありがちな過去のしがらみに囚われず、改革にあたり強いリーダーシップを発揮できた、むしろ私たちが多くを学びうる例である。

    ■自分の代にどれだけ強くできるか
    読み進めてゆくうちに、坂根会長が、どれほど深く自社を愛し、用語を用いればそのアソシエイツ(社員だけでなく協力企業を含め)をいつくしんでいるかがよく伝わってきた。はえぬきならではのことなのだろう。

    コマツもリストラはやむなく行った。が、「やむなくリストラは行うが必ず1回限りにする」と当初から宣言していた。こう言う発言には勇気が要ることだろう。もし言葉をたがえればたちまち経営責任を問われるからだ。本書にも指摘されているように、リストラを小出しにだらだら続けたら、組織は、救いようにない沈滞に陥ってしまうだろう。そう言う会社を目にするのは悲しいことだ。

    リストラをやるにしても、ただばくぜんと経費を減らせと言ってもせいぜい一時しのぎの効果しか出ないか、かえって競争力を弱める。たいていの会社は、本業と関係ない雇用に手を着けず、本業のところの変動費に斬り込み、現場や外部にばかりしわ寄せをして負担を強いる。そして景気がよくなるとまた本業に関係のない雇用を増やすから総原価の高い構造が結局変わらない。だから再度の危機を招いた時の犠牲が一層大きくなるのだと言う。
    著者が、なぜ自社の収益性が低いかと分析して行くと、建設機械等の直接原価においては、アメリカのライバル企業に負けているわけではない。結局、景気の良い時に増やした本社機構や本業と関係ない子会社が、収益を圧迫するいちばんの原因となっていた。従って、大変残念だが、そちらに手を着けることになった。こうした徹底ぶりが体質強化に大きく役立った。

    今は中国大使となられた丹羽宇一郎氏が、伊藤忠の社長時代、4千億円あまりの特別損失の計上と並行して、膨大な数のやはり不採算子会社をクローズした時に、一切例外を認めなかった。改革を成し遂げた経営者には、この種の不退転の決意と一貫性は、まず不可欠のようである。そう言えば、この丹羽氏もはえぬきであり、パナソニックの中村邦夫会長と並び、僣越ながらはえぬきによる経営危機改革の三傑とも称し得ようか。

    先のリーマンショックの時には、協力会社組織「みどり会」においても相当資金繰りその他で行き詰まる企業もあった。こうした中で、コマツは、協力企業の在庫や機械を買い取ったり、地元金融機関に融資の口利きをしたり、口先でない本当の支援をしている。これは、間違いなく坂根会長の意思だろう。口に協力企業との共存共栄を唱えることは誰でもできる。しかしいざと言う時、こうした行動が取れる人がどれだけいるだろうか。従前からのこうした姿勢が、チャンス到来に際しては協力会社の積極的姿勢を引き出す。コマツの要請なら少々リスクがあっても設備投資しようと、コマツとぴたりと呼吸が合うのである。こうしたことが相互の高業績にどれだけ貢献するかは私たちにもよくわかる。

    他方、モデルチェンジの時などは、前モデルの納入企業に一切優先権を与えずに競争させている。危機管理と健全な競争とをめりはりを着けて両立させている見事な経営手腕と言うほかはない。
    本書の冒頭と末尾に2度書いておられる。「自分の代に、どれだけコマツを強くできるか」が自分の使命であると。これほど見事な、そして奇をてらわず腹のすわった経営者のミッションの表現があろうかと思う。歴史観が必要なのは、政治家だけでなく経営者も同じなのだと思う。会社はずっと続いてゆくのだ。

    ■貫徹した姿勢
    その実行における貫徹した姿勢が引き続き随所に現れる。

    コマツの強みとして有名なコムトラックスと言うシステムがある。売った建設機械が、どこで動いているのか、衛星を通じてわかると言うものだ。まず債権管理にとても有効である。代金を払わない顧客の機械はエンジンを止めてしまうこともできるのだ。しかしそれより何より、市場動向を読むのに大変役に立っていると言う。どこでどれだけ機械が稼働していることが全地球上で把握できるのだ。市場動向を他社より先読みできるし、顧客にもいろいろ有益な情報を助言できる。これはたいへん有利だ。

    このシステムが、最初はオプションで15万円ほどかかっていた。よって導入がなかなか進まない。ここで思い切って坂根会長は、標準装備にしてしまった。もちろん売値を15万上げたわけではない。そのコストはコマツがかぶったのである。商品1台あたり利益が15万円減ると言うのは、商売を少しでもやったことにある人ならすぐ共感できる大変な痛みである。しかし、この決断も市場における上記のような優位性の一層の構築によりコストアップを吸収しておつりが出たようである。

    一般に市場で優位な地位を占めるのは特色のはっきりした製品である。あらゆるスペック(コスト、パワー、騒音、燃費、操作性等々)において平均点以上を目指そうとすれば、特色ある製品は生まれない。開発部門がパワーを上げようとするとコストが上がり、それでは売れないと営業部門から言われる、と言った例である。たいていの会社はこの平均点主義からなかなか逃れられない。各部門の利害が葛藤し、痛み分けの調整をせざるを得ないからである。結局、かどのないまるまった月並みな商品ができて売れ行きも平凡と言うことになりかねない。坂根会長はここに大なたを振るった。従来品よりコストを10%以上節約して、それを用いて特定の重要機能において何年も追いつけないくらい他社をはるかに凌駕する商品を開発せよ、と。名づけて「ダントツ商品」である。これが書名にもつながった。

    これに認定されれば経営資源が優先配分される。この承認を、社長の専権事項とした(当時坂根氏は社長だった)。こういうあたりは、いかにも改革者らしい権力の集中を図っている。この結果、開発陣が強く動機づけられ、ヒット商品が生まれ出し、コマツの高業績の直接の因となった。それまで平均点主義の商品開発を強いられていた開発技術者たちが、急にやる気を出したのは驚くばかりであったと述べられている。経営者冥利に尽きる瞬間だったろう。


    ■エッジと自制
    経営者が貫徹する行動を取ることは、英語表現だとエッジが効いていると言うことだ。エッジの効く人は、とかく権力的になりがちな面もありうる。坂根会長にあっては、パワーの行使の際の自制のバランスがよく効いている。
    経営の執行面においては、わざわざ自らの行動に統制をかけるしくみを設定し、会長、社長と言えども、重要事項を独断で図れないようにしてある。これもなかなかできることではない。自分の権力を自分で制限できる人などめったにいないものだ。ある買収案件では、役員会に条件付けをされてもたもたしているうちに案件を流してしまい、今でも買っておけば業績はもっと上がったろうと悔しがっておられる。悔しがりながら、さばさばしているのである。

    重要な買収と言うような機密に属する事項は、ごく少数の関与者以外にはあまり開示しないで、最高実力者が「話をここまで進めた、さあこれでいいな、諸君」とある日通告、事実上の決定、と言うほうがふつうなのかもしれない。また一般に、やり手経営者と言うのは、経営をより迅速にするためには、一層社長に権限を集中しようと思うのが常かもしれない(実際、ベンチャー企業や、規模がさほど大きくない企業で、あまりスローモーなことをやっていたら、すぐに会社が傾いてしまうだろう。そうした企業は、力量ある人が良い意味で迅速に独裁しなければうまくゆかないだろう)。しかし、そうした独断とそれを維持するための秘密主義が、結局長い目で見れば会社を毒してしまうと言うのが著者のお考えのようだ。

    こうした面からの取締役会の活性化を「コマツウエイ」の「マネジメント編」に載せて、健全な経営の継承に腐心している。オリンパスや大王製紙の件が世を騒がせているだけに、この経営姿勢の清明さは一層きわだつ。
    思うに企業組織を百年健全に発展させたいと思うなら、この坂根会長のお考えはまことに至当なものだろう。しかし、幾代も後までのことを考えて経営に任じるのはよほどの忍耐、自制心が要るに違いない。自分の代でこれだけやったのだと示したくない経営者などいないだろう。

    かつてドラッガーは、「ポスト資本主義社会」の中で、経営者にカリスマ性を求めるのは全く誤りであり(リー・アイアコッカやジャック・ウェルチを念頭に置いてのことだろう)、私たちに必要なのは、地道に任務に取り組み使命を果たすCEOだと言う旨を述べていた。このドラッガーのCEO像に、坂根会長はぴったりあてはまるように思えてならない。

  • 読書日誌6:「全員が一流をめざす経営 川越胃腸病院に学ぶ 働く人が輝き出す組織改革」金津佳子 宮永博史著

    本書は、川越胃腸病院と言う、さほど大きくない病院──ベッド40床、職員120名──が舞台となったマネジメント書である。より言えば、本書の主人公、望月智行院長の2008年の自著「いのち輝くホスピタリティ─医療は究極のサービス業」の姉妹後編と位置づけたほうがよいのかも知れない。むろん自著の方が、ご本人の息づかいがはっきり聞こえてくると言う読む者としてのかえがたい感興があるのだが、今回は、2年後に編まれた分だけ情報量も増えているし、主観客観のバランスのよく取れた筆致ゆえ、掲題書を基軸に、所感を述べたい。

    この本を当ホームページの読者に訴えた理由は、読書日誌2:「リストラなしの年輪経営」を採り上げた時と似ているかも知れない。

    経営者は、人格的力量の問われる指導者であることと、能力がひたすら問われる事業を遂行する、ひらたく言えば収益を稼ぎ出すビジネスマンとしての両立ができることが理想だろう。しかし、それはどれほど難しいかことか。この望月院長は、見事にそれをなしとげているのである。しかも、医療と言う、つい最近までおよそ経営やマネジメントとはあまり縁がないと思われている世界でそれをなしとげたことには深い敬意を表したい。会社の規模が大手でなくて中堅になるほど、当然ながら経営者その人の上記両面の力量が、会社全体に大きくおおいかぶさって影響する。従って、本書は、会社の数としてははるかに多い、営利、民間の中堅企業の実戦経営論になっている。 以下幾つか望月院長の行動の軌跡を追ってみよう。

    望月院長は、80年代なかばに、医療は「究極のサービス業」であると定義づけた。患者に感動を与えるのが医療だと言う。そのために、自分をはじめ、医療に携わる者は、一流の感性を持たなければならないと。書名はここに由来する。
     
    その頃は今ほど顧客満足と言う考えは、営利企業でもさほど深くは浸透していない。まして病院はそうではなかった時代である。それだけでも新奇なのだが、何より驚くべきは、一貫して30年間、この経営理念を忠実に実行していることである。「ビジョナリーカンパニー」の初版に書いてあったように、大事なことは経営理念の中身よりも、それを心から信じて実行することであるのだが、望月院長もまさしく言行一致の人である。
     
    その一環としてまず驚いたのは、顧客満足度調査を、1987年に開始し、以後20数年一度も欠かさず、かつ質問内容もほとんど変わっていないと言うことである。何という一貫性であろうか。大手企業も含めてそこまでの一貫性を持った会社がどれだけあるだろうか。しかも1987年当時は、病院の規模も現在の半分程度であり、それを20幾年続けていると言うことは、調査結果を真摯に受け止め、絶え間なく改善努力を行ってきた何よりの証左である。調べ放しにしておいて改善に手がつかなかったらここまで続けられるものではない。恐るべき根気、粘り強さである。自らが信じる経営理念に忠実でありたいと言う、望月院長の強い意思が、文字を通じて伝わってくる。
     
    そうした努力の結果、医療過誤訴訟は、過去1件も起きていない。現実には程度は別にしてミスのない仕事などはあり得ず、医療とても同じであろう。言葉だけでなく誠心誠意患者に奉仕する姿勢が、本書のどの断面からも伝わってくる。これは、そうした経営理念の真の浸透の結果でもあろう。
     
    医療と言う世界は、一般に人の定着が悪いと言われる。それは病院経営者の問題と言うより、もともと多くの職種が国家資格に裏打ちされた専門職で、しかも看護師などは人手不足の売り手市場であるから、より条件のよい勤務先を見つければ転職がしやすいという社会的背景が大きい。ところが川越胃腸病院では、現在はほぼ百パーセント定着なのである。これは、しっかりとした経営理念を構築し、それに合致する人材を選び出す手続に、幾度も丁寧に面接するなど、ここでも大変な労力をかけ、一貫した姿勢を堅持しているからである。なぜそのようにしているのか。
     
    実は望月氏が院長に就任した頃は、氏も、他病院と同様、相対的に少しでも有利な条件を設定して、人材を採ろうと努力したのだが、ある時期から、それが全く徒労であることに気づいた。条件、おカネで、職場を選んだ人は、少しでもよい条件が現れれば、またそちらに移って行く。そいうことであくせくするよりも、経営理念を共有できる人材に長期にわたって勤続してもらう方が、結果としてずっと効率もよいし、患者満足も向上する。そう考えをすっぱりと切り換えた結果である。ここに、人材採用に悩む多くの中堅企業が学ぶ大きなポイントがありそうだ。面接などに幾度時間を掛けたとしても、不整合な人材採用の結果、仕事の引き継ぎやら教育やらで途方もなくむだな時間を費やすよりはるかにましではないか。もっともこのような物言い自体効率偏重と、望月院長にお叱りを受けるかも知れない。望月氏は、きっと、究極のサービス業を共に行う真の仲間、アソシエイツが欲しいのだとお考えに違いない。
     
    ところで、川越胃腸病院の人事制度は「穏やかな成果主義」と自ら呼んでおられる。「仕組みは科学的、客観的に、運用の心は愛情を基本に」がその基本精神である。本書全編を貫いているものが、望月院長の、職員への愛情と深い信頼である。その上に、目標設定をしたり評価をしたりと言うごく普通の道具立てを取っている。制度そのものにほとんど新規性はない。私もこの種のセミナーでいつも言うことだが、中堅企業がこうしたところで奇をてらうとまず絶対にうまくゆかない(大手企業ももちろんうまくゆかないが、そう言う失敗を吸収できる体力があることが違う)。
     
    ただ、普通の道具立てを活かすための工夫に熱がこもる。その最たる例は、望月院長自ら行う各職員との毎期のいわば「経営理念面接」である。通常の目標設定面接のほかにこれを行う。文字通り、経営理念の浸透のために行う面接である。こうした気の遠くなるようなエネルギーをかけるから、「穏やかな成果主義」がうまくゆく。成果主義の失敗例は、ほとんどが、「穏やか」つまりおおらかでなく、ひどく精密に(と言うより過剰に)制度をつくりこみ、あとは無人工場を動かすように、ボタンひとつでそれが精密に作動させ自動的に正確無比な評価結果がアウトプットされるのだと言う冷たい仮説に基づき運用された。それは結局、組織運営に深い傷を残した。
     
    そうした成果主義とは正反対な運用である。理想の人事制度とはつまりは理想の人事制度「運用」である。人事制度は運用の方がはるかに重要であると言う宿論を持って行く先々のセミナーなどで話している私には、我が意を得たりと言うくだりであった。
     もちろん、以上のようなマネジメントの仕組みは、当然ながら、望月院長の目の届く範囲以上には組織を大きくすることはできないだろう。しかし、ユニクロや楽天やトヨタが、全地球の全消費者を相手にしなければいけないのはわかるが、そのような会社の方がはるかに少ないはずである。私たちが足元を見つめなおし、自分の仲間と顧客との関係を、ずいぶんと深く考え直させる書物であった。

  • 読書日誌5:「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」辻野晃一郎著

    「ソニー本」と言うカテゴリーがあるとしたらいったい何冊くらいあるのだろうか。私も随分と読んだ気がするが、きっと全部で百冊ではきかないだろうか。そのくらい、ソニーと言う会社は、何しろあの名著「ビジョナリーカンパニー」でただ1社選ばれた日本企業であるだけに、外部の者からは光輝燦々としたイメージがあった。
     
    本書は、最近のソニーの様子を生々しく写し取ってきたと言う意味では、それらの中で抜きんでた価値がある。著者は、慙愧の思いを込めて、2003年のソニーショック前後から、ソニーのガバナンスが乱れてしまったと言う。そしてその様子が、固有名詞入りで展開される。読む者がうめき声をあげたくなるような、筆者の社内政治場面の苦闘が続く。本書にも引用されるあの井深大氏の芸術のように格調高い設立趣意書が書かれてから、半世紀と少しである。
     
    多くの「ソニー本」は、それ以前の、きらきらとしていたソニーに関するものであるのに対し、この本は、その前後にまたがっているのである。ガバナンスが乱れたあとのソニーは、これも数あるソニー本の題名のひとつになっているが、「普通」の会社になったようである。
     
    本書は、前半3分の2が、ソニー時代、後半3分の1が、転職後のグーグルの様子に当てられている。その結果、現代IT業界、電機業界の大変良質な入門書ともなっている。
     
    それにしても、ソニー時代の、社内政治の泥沼にはまってもがく筆者の姿は凄絶である。その中で、これだけの成果(VAIO、スゴ録など)を残して来た筆者の力量は並大抵ではない。しかも40才まで事業部経験のなかった筆者が、そのあと、社内政治の大波に翻弄されながら、わずか9年たらずの間に、多くのことを成し遂げた。IT業界の入門書であるばかりでなく、人間関係と社内政治に悩む幾百万のビジネスマンにとっても、傷んだ心を安んじるすばらしい叙事詩にもなっている。
     
    カンパニープレジデントを務めていたあるとき、言うことを聞かずに反発し続ける、とても優秀な専門職肌の社歴先輩の部下とのとげとげしい折衝に互いに疲れ果て、当時の出井会長や安藤社長に相談した。すると、「どんな人でもうまく使えないとだめだよ」と無責任に?諭されてその後も努力したが結局うまくゆかず徒労に終わったと言う。こんなくだりは何とも苦い思いを共有した読者が多いのではないか。
     
    そしてソニー末期のある時期の、次の血を吐くような言葉は深く印象に残った。創業者がつくったソニーの「ブランドバリューにただぶらさがり、食い潰すだけの人達が増えた結果がソニーショックを引き起こしたのだ。」
     
    他方、ガバナンスが乱れる前のソニーらしい逸話がところどころに散りばめられていて、思わず読者がほっとする箇所もある。ああ、やっぱりソニーなんだなあと。
     
    そのひとつを挙げると、筆者が管理職昇進試験を受けた時のこと。おえら方の前で自論を開陳できる時間はわずか5分だった。5分で十分な訴求などできるわけないと、はじめからこじんまりまとめる気などない筆者は、時間を過ぎてもとうとうと弁じる。ついに試験官上席が怒る。「君はいつまで話しているのだ!」ここで恐れ入らないのが筆者らしい。「5分で物を論ぜよとはそもそも無理です。」とやってしまう。退席を命じられむろん絶対落第だと思っていたら、あにはからんや昇進の通知が来た。人事本部長が「ああいう管理職がひとりくらいいてもよいではないか」と言ってとりなしたようである。こういう牧歌的な風景は、本来日本企業には、程度の差はあれ存在していたし、ソニーこそはその本家だったはずだ。
     
    後半のグーグルでの話は、まだ時間がたっていないせいか、ソニー時代に比しては、生々しい話がぐっと少なく、グーグルの経営理念や事業ビジョンの説明が多い。もちろん内容自体大いに勉強になるのだが、少し年数がたったら、ぜひまた生々しいやり取りを著して欲しいものである。
     
    功なり名を遂げた経営者の回顧的自伝でなく、サラリーマンが自身の経験を書いた企業内物語としては、なかなか類を見ない凄味である。比肩させるなら、アサヒビールでスーパードライを開発した松井康雄氏の「たかがビールされどビール」くらいしか思い浮かばないが、こちらは、20年を経てから筆を執られたと言う違いがある。
     
    まだ残された活躍期間の長い著者の今後の活動ぶりを注目したい。

  • 読書日誌4:「『戦う組織』の作り方」渡邊美樹著

    著者は言うまでもなく居酒屋チェーン、学校、福祉施設、農業など経営するワタミグループの創業者である。私は渡邉氏が十数年前に、社長として給料袋に毎月入れていた手紙をまとめた最初の著書「社長が贈り続けた社員への手紙 (1998年)」を読んでからの氏のファンである。その後一層大きく成長した渡邉氏のテレビでの言動やより多くの著書を知るにつけ、「あの人の力量は、一企業グループのためではなく、国民全体の福祉の向上に用いて欲しいものだ」とつくづく思った。そうしたら、ご本人にもそうした動機がおありだったのか、ワタミの会長を辞して、ついに先の都知事選に立候補された。対立候補が石原慎太郎氏では相手が悪かったが、さてこの先、どんな道を歩まれるのだろうか。

    ■「血の通った機能体組織」 
    都知事に出る2年前に、50才にもならない若さで、社長を退き会長になって、会社経営と言う意味では、一歩下がったところから後進を見守る意思を表明していた。この本はちょうどその前後に書いた、渡邉氏の実戦の経営組織論のエッセンスの集約である。
     
    ワタミでは、「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」と言う志を、採用から教育訓練までにおいて徹底的に刷り込む。組織とは「理念集団」なのだと言うのが氏の持論である。理念を実現するためには挑戦と変革あるのみである。つまりは毎日が戦いだ。表題のように、組織とは理念を実現する戦いのためにあると言うことになる。氏のたどってきた道からは、それ以外の組織などあり得ないのだろう。
     
    だから「多様性」などと言う言葉は、氏の著書には出て来ない。「理念集団」にはそれに矛盾する言動が時に生じても、それをはじき出して行く自浄能力が働くと言う。ここまで来ると、仕事と自分とに一定の距離を置きたい人にはとても着いてゆけない。ワタミが、一般に厳しい会社であると言われれるのはこのせいだろう。が、このように凝集性の高い組織にしなければ、渡邉氏の業績もまたあり得なかった。
     
    達成すべき目的がはっきりした組織を機能体と呼び、そうではなく、存在すること自体が目的となっている、地域コミュニティ、クラブやサークルのような集団は共同体と言われる。会社組織と言うのは、その成り立ちはどう考えても機能体であるべきなのだろう。が、あの堺屋太一氏は、かつてベストセラー「組織の盛衰」において、おうおうにして日本企業にあっては、機能体であるべき組織が、サークルのように共同体化してしまうと述べられた。競争相手との戦いに勝つことや顧客満足を高めることよりも、内部指向となり、いつのまにやら、外で戦う努力をするよりも、社内政治に明け暮れるような人達のための組織になってしまう例が多い、と言うわけだ。
     
    本来の組織の機能を徹底して果たすよう歴史上誰よりも強く求めた日本人は、おそらく織田信長である。彼の眼中には、生身の人間である家臣達もただの機能としてしか映っていなかったかも知れない。私たちは、ふつう信長を英雄として礼賛する。事実その評価は妥当だろうが、その場合に、それとは別に、信長に仕えていた武将達の気持ちを、アクションラーニングセッションのように、もう少し共有する必要があるかも知れない。毎日が薄氷を踏む思い、と言うより白刃の上を渡る思いだったろう。そのくらい主君信長は怖かった。その怖さに較べれば、決死の覚悟で難敵に当たることなど、ひょっとしたらさほどでもなかったのかも知れない。英雄の下で働くと言うのはそう言うことなのだろう。だから織田軍団は強かった。
     
    ところが、堺屋氏は言う。そのような純粋な機能体組織は、やがてメンバーが疲れ果ててしまい、日本にあっては長続きしないのだ、と。なるほど、信長のつくりあげた機能一辺倒の精強軍団組織も、疲れ果てた明智光秀がなかば自暴自棄になって謀叛を起こし、信長らしいその最期とともに消えうせてしまった。
     
    さて横道が長くなったが、どうやら信長のことは、渡邉氏も尊敬しているような口吻を本書にて示す。渡邉氏の率いたワタミは、この文脈で見ると、「血の通った機能体組織」なのである。本書のどこの断面を切り出しても、渡邉氏の部下を思う熱い血潮がほとばしっている。較べる意味があるかどうかは別として、そこが信長と全く違う。その上で、純粋に人を能力で評価し、役割を与え処遇している。こちらは信長と同じ完全な実力主義だ。この情熱と冷徹の両立は、誠に非凡と言うしかない。だから、ワタミでは、人事に情実、社内政治が起こり得ないと言う。
     
    純粋な能力主義にすると、「組織は人を食って成長してゆく」。渡邉氏のこの一句は警抜である。何しろワタミは急成長した組織だ。いっときはマネジャーが勤まった人でも、事業の規模が拡がると、とたんに通用しなくなると言うことが、ひじょうに多く起きた。そうした時に、渡邉氏が取った態度は、理にかなった上に、部下を慈しむ深い情義にあふれたものである。何しろ氏の後継社長になった人も、一時降格人事を受けているのだ。しかしその態度には、再挑戦して壁を克服することを真に期待する愛情があふれていた。事実、後継者はその期待に応え、もう一度はい上がってきた。それは鮮やか過ぎる例だろう。マネジメント能力がそのまま停滞した例も少なくない。それでも、縁あって同志となった人には、それにふさわしい活躍の場を一生懸命見つける。血が通っているのである。
     
    このあたりを読んでいて、私は、井深大氏が書いたと言う、あのソニーの設立趣意書の5カ条目を思い出した。「・・・・・形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本意、人格主義の上に置き、個人の技能を最大限に発揮せしむ」と書いてある。そう、人に上下がつくものは、実力と人格以外には何もないのだ。さらにその上で、社員各自の自己実現こそが大切だと言っている。60年以上前の貧しかった社会を背景にしながら、井深氏はそう喝破した。しかし、今のソニーが、残念ながらそのような会社とは誰にもあまり思えない。その理念が、何の関係もないはずの今のワタミに活きている。歴史とは不思議である。そして、創業期のソニーは技術者中心で社員数十名だから、形式的職階などなくてもよいが、4千名以上になったワタミには当然職階がいる。その規模となっても、昇格、降格が、これほど能力本位に行われる例はまず見たことがない。私が、人材評価のセミナーなどで、受講者にいつも問いかけることのひとつが、「皆さんの会社では、昇格、降格は、以前の人事制度の時より、実力本位にフレキシブルになりましたか」と言うことだ。今でも下を向いてしまう受講者の割合が多い。能力本位の人事は、言うは易く、行うはまことに難いのである(当ブログの「実戦問答9 昇格はフレキシブルになりましたか」参照)。


    ■早くそうした失敗の経験を積んで 
    なぜまだ若く、経営者として脂がのりきっているのに、会長になって一歩退くのか、と言う問いには、自分の力が今こそ全盛期であるからと逆説に答える。百年続く企業とするためには、後進の人達に自分が後見できる間に経営の経験を積ませなければならないからだ、と続ける。この時点で政治に乗りだそうと思ってはいなかったかも知れないが、数十年先までの事業展開ビジョンを明確に描くことなどが、会長としての自分の役割になると述べる。ふつう創業社長にとっては、自分の会社はなまみの自分のからだと同体化しているはずだ。自分の人生のあかしであるはずだ。だからどんな意思決定にも必ず関与したいはずである。どうしてこのように自己客観化ができるのだろうか。彼だけは別あつらえの人間なのだろうか。
     
    しかしそうでもないようだ。著者本人も、「社長ほどおもしろくてやりがいのある仕事はない」し、「今でも居酒屋の現場が大好きだから、入っていって部下を指導したい」のだそうだ。しかしそれをすることは、自分を継承する人々が、指導の経験を積む貴重な機会を奪ってしまうことになる。そんな自分本位なことでは百年続く企業とすることはできない。だから、「自分の宝物」を渡すような気持ちで見守り、口を出さないのだと言う。この自制心、克己心は常人のものではない。そしてあまたの企業家や創業者の善悪とりどりの晩節の先例に深く学んでいることが明らかである。
     
    自分が会長となったあとは、すぐに自分の能力に代わりうるリーダーなどいないことは本人がいちばんよくわかっている。だから、経営判断を相互にチェックし合う集団指導体制を取るとしている。集団指導になれば意思決定が遅くなるマイナスはある。が、後進が経営に習熟できるメリットの方がずっと大きいと言う。もっと言えば、きっと経営判断を誤ることだって折々あるだろうが、早くそうした失敗の経験を積んで、経営者として成長していって欲しいと述べる。この大局観と部下への愛情には敬服するしかない。
     
    私は仕事がら、人事評価制度を設計すると言う場面でいつも以下のような趣旨を述べている。「『自律人材』となるまでの習熟期間では『失敗する権利』を認めた方がよい。若手社員に、励みのために目標管理等をやるのが悪いとは言わないが、あまりがちがちに評価に結びつけない方がよい。そうでないと、ミスを恐れ、手がちぢこまって仕事をするようになってしまう。いったい失敗をしないで成長する人などいないし、1度も失敗をしないで来た人に、恐くて大事な仕事は預けられない。」先日も、あるセミナーでこの旨を述べたら、終了後、ある受講者がやってきて「この『失敗する権利』というのはいいですね。自分の会社に浸透させるのはなかなか難しいのですが・・・・」とおっしゃっていた。
     
    私が言っているのは、ごく人事制度の話らしく、自律前の比較的若手社員の話だ。渡邉氏は、会社経営を継承させた最高幹部に「失敗する権利」を認めているのだ。何という度量か。

     ■戦う組織における部下の育て方

    厳しい会社だが、渡邉氏の部下を見る目の温かさは格別である。本書は、具体的な部下育成の実践面でも、誰しも考えさせられる応用性がたいへん高い。本書は4章構成になっているが、半分以上のページを、部下の育て方(第4章)に割いており、一読者から見ると、この章がいちばん面白い。部下の育成に関しては、おそろしくたくさんの数の本が出版されているが、この90ページあまりの第4章より優れた実戦書を私は知らない。それは著者が「機微」と言うことを重視していることに集約されている。場面と相手と話の内容が異なれば(機微の「機」である)、上司が取るべき態度はすべて異ならなければならない(「微」である)と言うことを、豊富な経験を踏まえて実に鮮明に描いているからである。これは「戦う組織」とまでゆかなくても、おおかたの「諸事うまくやってゆきたい組織」にあっても、大変妥当性の高い内容である。
     
    ほとんどのその種の本は、まずもって一般論どまりである。たとえば「部下を注意し、叱るときには、別室に呼んで他の人がいないときにしなさい」などと言う一般論はあまり役に立たないと私もかねがね思ってきた。が、この本でも、ほとんど同じ表現で渡邉氏ともあろう人が述べられているので、思わず笑ってしまった。少なくとも行動科学には、「状況理論」があって、時と所と相手が異なれば、上司の反応は異なるべきだと言う説は、ずいぶん前から確立している。だから、少し勉強熱心なマネジャーならこのことは知っている。しかし、その応用例を、ここまで活き活きと書いた例はまずない。そのくらい瞬時に「機微」にぴったり適合するのは難事だし、それが少しでもずれれば思ったように部下は育たないのだ。
     
    部下を叱責する時には、ひとしずくも私怨をまじえず、部下の成長を願う愛情を持って行うことが大切だと言う。逆にそれに一点も曇りがないなら、時に鬼となって、時には部下全員の前で、烈火のように怒らなければならないこともあると言う。そのような上司の親心を部下がわかった時に、真の人間関係が形成される。こうした例がふんだんに述べられているので、部下の指導に悩むマネジャーにはぜひ一読をお薦めしたい。中でも126頁の、「自分が部下を愛していないのに、部下から自分が愛されるわけがないではないか」と言う一文は、強く読者の心を打つとともに、あるいはこの本の主題ではないかとも感じられる。
     
    その渡邉氏ですら、抜擢人事では時に期待外れに終わって失敗したと言う。しかし「その理由もわかっている」。何とかこの部門を早く立ち上げたいなどと「自分の中に欲や焦りがある時に」判断を誤り失敗するのだと言う。この内省力の高さも読者としてうならされる。なにひとつ部下に帰責していない。私は、真の自問自答ができる人にはアクションラーニングは不要であると言ってきたが、まさしくその例である。

    さて、ワタミをほぼ離れた渡邉氏は、今後どのような活躍を私たちに見せてくれるのだろうか。同じ日本人として、その有為な才能、人格を適切な場に用いていって欲しいと思う。

  • 読書日誌3:「挑戦する経営」千本倖生著

    この著者千本倖生氏と言う名は、かつての通信自由化、電電公社民営化の時代、今は日本航空の会長を引き受けられた稲盛和夫氏が、京セラの社長として、乾坤一擲の大勝負として第二電電への進出を果たされた時のパートナーとして、記憶に残っていた。
     
    と言うより、私も、数多い稲盛和夫ファンの一人であり、その自伝、評伝をずいぶん読んだのだが、その一代の企業家人生の物語の中で(まだ完結していないが)、いちばん読者が血わき肉躍る部分が、その第二電電設立から、KDDIにまで成長してゆく過程の、特にその前半ではないだろうか。その一代記の白眉たる部分において、カリスマ経営者に見出された千里の馬として登場したのがこの千本倖生氏である。
     
    だから書店で見つけて迷わず買い求め、一気に3度読んでみた。そのくらい中身が濃い。
     
    私の感想をひとことで言ってしまえば、こんなスーパービジネスエリートがいるのだろうか、に尽きる。そのくらいそのご経歴は華麗にして鮮烈である。それでいて、著書から伝わって来るお人柄には、少しも選良意識がない。高潔な人格と、たぐいまれな能力とを、同じ器の中に少しも違和感なく盛っておられるようだ。私のようなごく平凡な人間には少し想像の着かない域である。
     
    どのくらい華麗かと言うと、京大を優秀な成績で卒業し、電電公社に入る。2度にわたり米国に留学し猛勉強し、その中でも秀才をうたわれる。日本に戻って重要な部局を歴任しつつ、やがて通信自由化の時代に遭遇した。ついには稲盛和夫氏との邂逅を経て、電電マンでありながら、電電公社のライバルとなる第二電電(DDI)を設立。これがエスタブリッシュな存在になると、惜しげもなく地位を捨てて今度は慶応ビジネススクールの教授に転じる。第二電電のサクセスストーリーは、時代のケーススタディは、あのハーバード大学に2度も採り上げられたと言う。せっかく就いた教授職も、4年あまりで退任し、イー・アクセスを起業し、日本におけるブロードバンド普及に大きく貢献した。もう落ち着くのかと思うと、今度は、イー・モバイルを設立して、モバイルブロードバンドの概念を現実化した。後半ふたつの企業では、何百億円、何千億円と言う起業資金を、幾つもの国際的ファンドから、ビジネスを遂行する人間の能力とそのプランだけで次々と引き出して来てしまう。まるで神業である。
     
    それにしてもやはりいちばん面白いくだりは、第二電電設立のくだりだった。1980年代初頭、電電公社民営化が議論の俎上にのぼり、電電公社生え抜きではない、時の総裁真藤恒氏も、民営化を支持する方向だった。が、内部には、強く保守的な考えも多い。そうした中で、千本氏はそのまたさらに先へ突き抜けて行ってしまう。「電電公社民営化だけでは不十分だ。きちんとした競争力を持つ競争相手が存在しなければ、日本の通信事業の未来はない」と言う信念を持つに至ってしまった。人はやがて千本氏を「異端者」と呼ぶようになった。これはごく平凡な日本人である私には、命名の方が正しい?ように思う。
     
    どこの世界に自らが拠って立つ権益の内側にいながら、その基盤に挑戦を許す相手を育てようとする者がいるだろうか。この本にもたびたび名前が出てくる、孫正義氏が、自由な立場から幕末の志士のごとく権力や既存権益に挑戦するのとは全く意味が異なるのである。そうした志士達を陰ながら支援した勝海舟ですら、幕府滅亡まで幕臣の立場を貫いた。時代背景は異なるが、千本氏のこの後の行動はそれを超えている。この時千本氏は、さすがに明確に表現していなが、そのイニシアティブを取るのは自分以外にはいないと言うもうひとつの信念も育てていたのではないか。
     
    若いころの千本氏は、ごく普通のとびきりの秀才(奇妙な表現だが)だったように思える。だから電電公社と言うこれ以上はない安定基盤を持つ保守的組織に入ったはずだ。ところが40才前のこの時点で、こうも進取の精神に満ちた人物になっていた。こうしたご自身の変容にはあまり多くの筆を割いていない。私のような仕事をしている者にはむしろそうしたプロセスに関心がゆく。人はどうしてそこまで変わりうるのか、と。誠実な秀才が革命児になってしまった。眠っていた資質が、変革の時代に遭遇すると呼び覚まされることがあるのだろうか。ライバル孫正義氏のほうは、その評伝を読む限り、どうみても少年時代から革命児である。
     
    千本氏は、米国留学中の体験の影響を述べられる。それは大きな刺激ではあったろうが、ごく若い時分のお話である。やはり、電電公社の中堅管理職となってから、任務の性質上どうしても政治絡みの案件が多いから、政治家や官僚、労働団体の方々とのなまなましいやり取りが増える。そうした場面を通じて彼らの「内臓の中をのぞいた」体験が大きく影響しているように見える。そうした経緯に関してはまだ語れないことが少なくないと言うのは当然だろうが、われわれ読者には残念なことだ。
     
    そしてついに機会は来た。1983年、通信業界の変革に関するセミナーを京都で行った。講演後、それを聴講していた京セラの社長だった稲盛和夫氏が、千本氏に歩み寄った。稲盛氏は千本氏の異能をすぐに読み取ったに違いない。たちまち意気投合となった。私の手元にある別の本には「おまえさんんみたいな型破りは、電電公社のようなところでは収まりきらんと違うかい。」とさっそくスピンアウトの招請に近いことを言ったという。数度稲盛氏と会ううちにすっかりその力量に引かれた千本氏はついに切り出した。
     
    「二番目の電話会社を民間でつくりませんか。」
     
    現職の電電公社の、異端児とは言えエリート職員の発言である。その際、経営とおカネを稲盛氏に支援してもらわねばならない。
     
    「最初の数年で、1千億円は必要になります。」
     
    千本氏のプランを聞き終わると、稲盛氏には珍しいはずの嘆息を漏らし検討を約束した。このあと、稲盛氏が自分の決心をついに純粋に結晶化し、私心を捨てて国民の利益のためにこの事業に乗り出していった過程は、稲盛氏関係の書物に詳しい。当時京セラのフリーキャッシュフロー、つまりは金庫に入っている自由に使えるおカネは1500億円だった。
     
    「そのうち、1千億円をおれに使わせて欲しい。」

    と役員会で言ったという。カリスマ経営者の面目躍如である。その時点では、蟻(京セラ)が象(電電公社)に戦いを挑むような実力差であり、無謀と評する識者が多かった。失敗すれば、京セラは跡形もなく消え失せてしまう可能性も現実味を帯びる。私などはその場にいた他の役員達の気持ちがどんなだったろうか聞いてみたいものだ。「30年近くいばらの道を歩んでここまで育てた会社なのに、何もここでいちかばちかの賭をしなくてもよいではないか」と思った人がほとんどなのではないか。しかし稲盛氏の決意はもはや岩より固い。
     
    こうして稲盛氏との邂逅により、千本氏はついにルビコンを越える決心をした。その決心をただ一人の人物に伝えておきたかった。それは公社総裁である真藤恒氏である。しかし、職階序列で言えば雲の上の人だ。一計を案じた千本氏は、大阪発東京行きの飛行機で、真藤氏の隣の席に滑り込むことに成功する。ほんの少しの面識しかない若造が総裁の隣に座ったのに、真藤氏は不興がらずに平然とした態度で問うた。 
     
    「私に何か話があるのか。」
     
    千本氏はかねての持論をゆっくりと伝えた。民営化された新電電には強い競争相手が必要である、と。真藤氏は穏やかに聞いていた。そして一息入れて千本氏は言い切った。
     
    「そう言う会社を私がつくろうと思います。」

    「えっ」

    と言って真藤氏が、鋭く千本氏を見た。これには剛腹な真藤氏も驚いたろう。稲盛氏と一緒にやりますと言うと真藤氏はうなづいた。千本氏は、厳しい叱責を覚悟でこの場に来ていた。しかし真藤氏は最後に言った。
     
    「私は現役総裁だから、ライバル会社をつくることは賛成はできない。しかしそこまで国の将来を考えておまえが稲盛君とやると言うなら、私は黙認する。」
     
    アクションラーニングのセッションの間のように、この真藤氏の最後の言葉の重大さを、氏の立場に照らして、しっかりこのブログの読者とともに味わいたいものだ。私はこのブログのつい最近の「実戦問答19」で、人の上に立つ者の度量と言うことを論じた。真藤氏のこうした態度を「大度量の人」と言うのであろう。こうした大度量に接した千本氏の感動はいかばかりであったろうか。そしてその後の第二電電立ち上げの辛苦にあって、この真藤氏の言葉がどれほど心のささえになったであろうかは想像に難くない。それから30年近く、残念ながらどうやら収縮期に入ってしまったらしい日本社会では、こうした大度量に出会える確率が減ってしまった。
     
    こうしてスタートした第二電電、DDIは、今日のKDDIの隆盛から逆算してしまうと、当時の当事者達がたどった苦難の道は想像が着かない。そうした中で、あの稲盛氏が、わかっていたたことではあっても当座はおカネが出て行く一方なので、幹部にはいらだちを隠せない場面もあったと言う。と言って、大きな流れとしては、その堅忍不抜としたたかな計算力に深く敬意を表している。私は、千本氏に、もう少し稲盛氏の具体的な言行を記述して欲しかった。現存至高のカリスマ経営者稲盛氏を評することのできる有資格者などそうはいないからである。
     
    私はスーパー「ビジネス」エリートと千本氏を評した。上級公務員試験等のキャリア組の秀才官僚といちばん違うのはこの前後からの千本氏の言行である。表現を変えれば、本書が魅力あるのは、こうした事業立ち上げの場面で、千本氏が、自らどろどろになって多くの部下と艱難辛苦を共にしてゆく場面に満ちているからである。頭脳が異能であるばかりか、リーダシップも抜きんでて発揮できる人だったのだ。
     
    本書の最後の方で、自戒をこめて千本氏は述べる。日本の経営者はウェット過ぎると。この「読書日誌」の前号にて採り上げた伊那食品工業の、塚越寛会長は良い意味でその最たる例かも知れない。経営者の判断基準の第一は、株主のベスト、第二は事業の将来性、感情は3番目であると。この場合の感情とは、塚越氏と同様、従業員や仕入先との信頼関係を何より大切にする気持ちを言う。千本氏も、情義をとても重んじる人である。その温かみが、本書全体に貫かれている。それでもこう言わねばならない。千本氏のたどった軌跡からは、それを言う資格があるのだ。そしてIT業界における株式公開企業とはそうでなくてはならないのだ。伝統の家業が徐々に発展するのではなく、最初から百億円千億円の単位で株主に出資を求めなければ成り立たない事業であるからだ。
     
    そんな凄まじい世界にはやはり偉才異能にして行動力もまた抜きんでた千本氏のような人物でなければ、この成功は成し遂げられなかったのだろう。読み終えると、ため息が漏れる逸書である。

  • 読書日誌2:「リストラなしの年輪経営」塚越 寛著

    著者は、伊那食品工業の事実上の創業経営者(現在は会長)で、同社は48年間増収増益を続け、寒天の製造では世界シェア1位の優良企業である。

     ■会社は社員を幸せにするためにある
    「会社は社員を幸せにするためにある。そのためには永続することがいちばん重要だ」と本書冒頭近くで著者は述べる。同時に財務偏重の世の風潮を強く批判する。社員を幸せにするためには、「いい会社」であると仕入先、販売先、地域社会から認められなければならない、利益を独り占めするような行動は決して取ってはならないと続ける。そのような会社は、人に尊敬されず、社員はその会社に所属することを幸せに感じないからだ。
     
    ここまでは、多くの企業で額や記念碑に飾ってある経営理念と、内容的にはそれほど大きくは変わらないかも知れない。しかし、それがぴたりと言行一致しているのが、経営者としての著者の強い説得力となる。
     
    「人の犠牲に立った利益は利益ではない」「人件費はコストではなく会社の目的そのものである」とさらに信念は深まる。「会社は運命共同体です。私は(社員を)家族とさえ思っています。」だから、なぜ、そうした方々の人件費が少なければ少ないほどよいと思うのか不可思議だと問う。松下幸之助だってここまでは言わなかったろう。
     
    しかし会社が「仲良しクラブ」ではいけないので、「いつも喧々諤々の議論が巻き起こっている方が望ましい」。ここが、労働組合ばかり強い会社とは違うようだ。
     
    こうした人材観に至った背景は、著者が若年時、貧困と病気に苦しみ、その悲哀の中で、他人の苦痛を理解できるようになり、人のなさけけも身に沁みてわかるようになったからだと言う。だから経営を預かってからは、「お世話になった方々や社員を置き去りにするようなことは、決してやるまいと心に決めていた」のだ。加えて、経営者となってからの前半20余年は、余裕などは全く持てず、死に物狂いでやってきたとおっしゃっているから、そうした厳しい経験が、一層磨き上げた人材観であろう。艱難汝を珠となす(かんなんなんじをたまとなす)とはよく言ったものである。

    ■社員のモチベーションを上げることが最大の効率化
    どうしてもコストや効率が気になる人にはこう語りかける。「機械はカタログに記載された能力しか期待できません。」「人間はやる気になって知恵を出し、体を動かせば、2倍、3倍の能力を発揮します。」資金繰りに苦しんだお蔭で「最大の生産性向上策は、社員のやる気アップだ」と確信したのだと言う。「社員のモチベーションを上げることが、実は経営の最大の効率化」であり、「ケチは悪循環の始まり」と語る。自分の会社が欲得のためにケチって社員や仕入先の正当な利益を搾り取ろうとすれば、それはずっと無限に連鎖し、世の中全体に悪循環をもたらすと考える。誠に胸がすく論旨である。
     
    日本電産の創業者、永盛重信氏は、「人の能力の差は、せいぜい2倍か3倍、しかし努力の差は、5倍10倍あるいは無限大」と言う趣旨をご著書でよく述べられていた。同じ趣旨だが、それぞれのお人柄の違いが、倍数の表現の違いに現れて面白い。 

    ■仕入先とはともに繁栄
    転じて仕入先にも温かな目が注がれる。「当社は利益ではなく『永続』に価値を見出そうとする企業です。だから一時の利益のために良好な仕入先を失うような愚かな真似は冒したくありません。」「仕入先とはともに末広がりに繁栄できるような関係でありたいものです。こちらがそう考えていると、不思議なことに仕入先もこちらの繁栄を願ってくれるようになります。」誰しも他人とこのような関係を築きたいものだ。もちろん、塚越会長は、人を欺こうとするような会社とはつきあわない。
     
    以上により、「利益なんかカスですよ。」なぜなら健全な経営をしていれば自然と残るのだから、と論旨は続く。

    ■追い風を自分の実力と勘違いすると
    そのようになるには、堅実な低成長をずっと続ける必要がある。題名の「年輪経営」はここから来た。年輪は、風雪に耐えた幅の狭いところの方が強靱で、気候がよくて急成長した幅広なところの方がもろく、これは会社の経営も同じなのだと言う。
     
    2005年に寒天ブームが起こる。堅実に身の丈に合わせた成長しか指向してこなかった塚越会長は、この時も、単なる利益追求の増産要請にはあとでひずみが出るのはわかっているので、首をたてに振らなかった。しかし、福祉医療関係者から、人助けのためだからぜひ増産して欲しいと言われて、ついに信念を曲げて急拡大に踏み切る。しかしブームが去ると、売上利益ともに減少し、材料高等の後遺症が残った。そればかりか粗悪品が市場に流れ込み、消費者との信頼関係まで崩れかかった。連続増収増益が48年で途切れたのがこの時である。こうした、一時のブーム、流行に乗っかった経営行動を著者は最も好まないわけだ。こうした単なる「追い風を自分の実力と勘違いすると取り返しのつかない事態を招きます」。私も耳が痛い。
     
    ではブームが来たらどうするのか。われ関せずと「孤塁を守って知らんふり」もできないので、「ブームで得た利益は、自分の力で得たものではないから、人様から一時的に預かっているもの」であり、「将来必ず出て行くもの」と心得なさいと言う。どうしたらここまで達観できるのだろうか。このように心根を据えられたら、日々どれだけ落ち着いて仕事に取り組めるだろうか。 

    ■遠きをはかる者は富み近くをはかる者は貧す
    年輪経営は、長期的観点の経営である。そのお手本として二宮尊徳を尊敬し、言葉を引用する。「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」「近くをはかる者は春植えて秋実る物をもなお遠しとして植えず・・・・・ゆえに貧窮す」。これは2百年近く前の言葉なのに、まるで今の世相を言い当てているようではないか。塚越会長の信念に誠にぴたりとした言葉である。
     
    どこの会社でも、何か実行するたびに「成果はどうだった」とひどく気短かに尋ねられることがあまりに多くなってしまった。上場企業では、3カ月おきに決算をして株主に報告しなければならない。が、著者は、それはずいぶんとむだなことで、そんな社員の労力を、もっと創造的で生産的なことに向けられたらどれほどよいだろうかと評する。「決算など3年に1回くらいでちょうどいい」と言われる。ここは心ある多くの社長が快哉を上げたいところではないか。
     
    だから、会社の基礎が固まった時期には上場を検討もした。が、結局やめた。「莫大な個人資産や多額の資金を得られる反面、まことに不自由な・・・意思に反した経営を行わなければならなくなる」からである。そこで「自分でメシが食えて、病気になった時に病院に行けるくらいのお金があればいいと覚悟を決めたわけです。」これは、何も著書で初めて言ったわけではないだろう。常日頃の考えとして社員たちにはとっくに伝わっていたに違いない。こうした経営者の言葉を聞いて、多くの社員がどう思ったかは想像に難くない。

    ■「人間のあるべき姿」を追求した商品開発
    そんな塚越会長だから、商品開発にも誠に独自の見識がある。マーケットリサーチの数字などは過去のものだから、そうした追求にエネルギーを用いない。ここまではヒット商品の多いメーカーに共通している。ではどうするのか。「人間のあるべき姿」を追求した商品なら必ず受け入れられるのだと言う。そこにはひとりよがりな独自性ではなく、確固とした公共心があるから成功するのだろう。
     
    商品開発戦略には「トレンド軸」「進歩軸」があると述べる。「人間のあるべき姿」とはここで言う「進歩軸」である。だから商品開発は、「進歩軸」に沿ったことを基本的に考えながら、流行、つまり「トレンド軸」にも配慮するのが正しいのだと。ところが世の多くの企業はトレンドばかり追いかけて右往左往する。トレンドが消えれば消え行く運命にあるようなものは、「少し長い目で見れば、効率のよくない商品です」。ここでも私を含め耳が痛い人が多いのではないか。はやりすたりに振り回されて、なんとまあむだなことをしてしまったかと嘆かずに安定成長できるなら、それはまさしく経営の王道であろう。

    ■会社の素粒子は何か 
    本書も後半になると、哲学的な表現が目立つ。「会社の素粒子は何か」と塚越会長は読者に問う。それは「ファン」であり、「会社経営の要諦は『ファンづくり』にある」と言う。経営者自ら顧客との接点で、ひとり、またひとりとファンを増やして行く。そうすればファンになった方々が、またまわりにファンを増やしてくれる。効率が悪いようで、マスメディアなどよりずっと効率がよいのだと主張する。著者はその場合のファンとのきずなの強さを訴えているのだろう。「社員ひとりひとりが1日に何人のファンをつくれるのか」が「会社の命運を握っている」。「今日は何人のファンをつくれるのか、朝そう考えればワクワクしてきませんか。」
     
    言うまでもなく、伊那食品工業は、一般的分類なら製造業であり、かつ国内市場中心である。しかし、このくだりはまるでグローバルな超一流ホテルの経営者が所信を語っているようではないか。塚越会長が、どれだけ真に顧客のことを思っているかがせつせつと伝わって来る。だから、長期安定成長ができたのだ。そして、少しでも顧客との接点を持つ人なら、「そうか、仕事はそのような心がけでやればいいのか」とファイトがわいてくるくだりである。

    ■百年カレンダー 

    著者は、以上のような経営理念をしっかり社員に浸透させる努力を惜しまなない。「会社は教育機関、経営者は教育者でなければならない」と語る。たとえば新入社員教育では、現在からの「百年カレンダー」を配り、「君たちの命日が、このカレンダーの中に必ずある」と語りかける。新入社員達が何やら面食らう様子が読者にも見て取れる。いくら若いと思っていても、結局限りある人生を、悔いなく過ごすのだ、そして自分が幸せになりたいと思えば他人に喜んでもらうようにしなさい、と繰り返し伝える。こうして2週間の教育期間を過ごすと、俗に言うやらされ感ではなく「働かなきゃ損だ」と新入社員達が考えるようになるのだと言う。

    ■年輪経営と日本的経営 
    読み終えてみて、経営書と言う観点からは、物事の本質だけを追求する者が勝者になりうるのだと言うことを強く感じた。あまりにも本質でないことに時間とエネルギーが浪費、空費されている組織、企業が多過ぎる中で、伊那食品工業は、今後百年永続し、社員を慈しみ、顧客のご愛顧を受け、利害関係者に報いることだけを念じて年輪経営が行われてきた。塚越会長の行動の軌跡には、深い敬意を払う以外にない。
     
    よく考えてみれば年輪経営の内容は、死語になりつつある「日本的経営」そのものでないかともふと気づいた。ただ、それは、誰でもまねできるシステムとしてではなく、塚越社長個人のご力量にいかに多くを負っているかもよくわかった。かつての日本的経営も、終身雇用などの部分品の研究考察は別にして、松下幸之助氏や、井深大氏と言った、抜きんでた力量のリーダーの全人格が反映した固有の経営を指していたに過ぎないのかもしれない。「日本的経営」を題した本はあまり見かけなくなったが、松下氏、井深氏、本田宗一郎氏、稲盛和夫氏と言った方々のリーダーシップ論や、伝記は、今でも多くの人に読み継がれているのが、その何よりの証拠だろう。もっとも会社の大小は別にして、かつてはそうした力量優れた名物経営者がさほど珍しくもなかったことが、現在との差なのかも知れない。そこここに、会社の骨格、性質に合わせた日本的経営があったのだ。 

    ■塚越氏一代で終わってしまうのかどうか
    あとがきに面白いことが書いてある。もし会社が銀座のど真ん中ににあったらどうなっていたろうかと自問されているのだ。「きっと物欲や名誉欲に惑わされていたに違いありません」。最初から無欲恬淡(てんたん)な人など魅力はないのだ。そう、塚越会長も、最初の原点は私たちと全く同じ煩悩深きお人だったのだ。しかし、それを超人的な克己心にて昇華され、その哲学が見事な結晶となって現在の伊那食品工業をおつくりになった。
     
    数百人の規模だからできるのだとか、国内中心の事業だから可能なのだとか、そうした第三者の好き勝手な批評はあまり意味がないだろう。現時点の伊那食品工業を見ると、まるで「理想会社」である。古代ギリシアの哲学者プラトンは、衆愚政治に堕しつつあったアテネを離れ、理想国家を建設しようとしたが妨害され果たせなかった。プラトンの少し前に花開いて全盛期を迎えたアテネの民主政を、プラトンはおそらく意識していたことだろう。しかし、その全盛時の民主政とて、実は、ペリクレスと言う、力量懸絶のリーダーのもとでこそ真に機能した。と言うより、彼なくして、アテネのデモクラシーの精華はなかった。
     
    年輪経営もまた、塚越氏一代で終わってしまうのかどうか。もちろん、そうはあって欲しくないものである。

  • 読書日誌1:「部下を持つすべての人に役立つ 即戦力の人心術」マイケル・アブラショフ著

    このマイケル・アブラショフの自伝的著書を読もうと思った動機は、何年か前、米国のアクションラーニングにおけるひとつのモデルを確立したマイケル・マーコード教授の著書「リーディング ウィズ クエスチョン」(質問によるリーダーシップ、邦訳なし)を読んだとき、ずいぶん引用されており、強く関心を持ったからである。そう思っているうちに邦訳が出て書店で見かけ、飛びつくように買った。こう言う同期現象は大切にしないといけない。
     
    アブラショフは、海軍将校だった。彼の名を高めたのは、ベンフォルドと言う軍艦の艦長としての、2年間の見事な成果とリーダーシップである。本著はその2年間のエッセンスだ。マーコード教授のほうでの引用は、もちろん彼の優れた質問の応用のしかたについてである。そのこと自体はその通りなのだが、本書を読んで、その人物の全体像の雄渾さに、改めて驚いた。
     
    彼の姿勢に一貫しているのは「部下を守る」と言うことだ。
     
    部下を守れば、部下は上司に心服する。そうすれば、チームは相乗的に大きな力を発揮し、成果を遂げる。こんなに理屈では簡単なことが、実行は容易でない。このアブラショフも「自分は40万人の組織の中間管理職のひとりに過ぎない」と言う。艦隊勤務以前には、自分の部下を怒鳴り散らす上司の前で部下を守れなかったことをいまだに恥じているとも書いている。その限りでは、彼も最初は私たちとあまり変わらないごく普通のサラリーマンのマネジャーだった。
     
    それが、艦長になって一念発起してから、がらりと行動が変わった。自由に腕をふるえる場を待っていたかのような印象である。着任まもないころのあるできごとが、彼が部下の心服を得る大きなきっかけになった。
     
    戦術の演習において、部下のアイデアを採用し、独創的と思われる提案を、上司である艦隊提督に行うと、すぐはねつけられ、旧来の伝統的戦術にて実施するよう指示してきた。これに対し、機密通信用の無線で、提督に抗議し、言い合うことになった。「ほとんど無礼といってよいくらい」な態度だったと言う。この無線は、ボタンひとつで艦内で聞くことができる。部下達が深山のように静まりかえって聞き耳を立てていたことは言うまでもない。結局指示はくつがえせなかった。しかし、前任者や多くの将校と全く異なる新艦長のこの行動を、部下達がどう見たかは、誰の想像にも難くない。
     
    守ると言っても、思いつきの発作ではだめで、終始一貫しなければならない。早くも翌日その機会が来た。まもなくハワイに寄港する。部下達にとっては心待ちの休暇である。ところが、慣習で、軍艦の入港は、艦長の階級や着任順序によると定めらる。それに従えばアブラショフ達は最後になり、海上にて丸1日時間を空費することになる。それは全く無意味だと思った。提督に、2日続けて物申すことになった。
     
    「1日早く入港したいのでご許可を願います。」
     
    提督は、伝統主義者ではあっても自分の権威を守るために感情をあらわにする人ではなかったようだ。ごく不機嫌に問うた。
     
    「何の理由のためか。」
     
    考え抜いていた応答をアブラショフは一気に言った。
     
    「1日燃料の無駄づかいになります。燃料は国民の税金です。機材の破損も1日早く修理できます。また、部下達を早く上陸させて楽しませ、士気を高めたいのです。以上3点の正当な理由があります。」
     
    相手は、いまいましい感情をしずめるためか、せき払いをした上で、「許可しよう」と言った。これも例によって、無線で聞かれていたに違いない。艦内全体に歓声があがった。アブラショフ自身も、このあたりから、自分が、真の指揮官として部下達に受け入れられていったのを感じたと言う。
     
    「今度の艦長は、自分の昇進よりも、われわれのことを先に考える人だ。」  リンカーンは、「人を統治する際は、その相手が認めてはじめてリーダーたりうるのだ」という意味のことを言った。これは政治の世界に限らず、どんな組織、企業にもあてはまる原理である。数千人の社員の社長でも、数人のメンバーのチームリーダーでも、本質において同じだ。
     
    こうした本気で「部下を守る」行動が、このあとここに挙げきれないほど出てくる。こうした行動は、よほどの勇気と、自分の力量への自信が裏打ちされていなければなければ、貫徹できないばかりか、自分にもマイナスにはね返って来ることは容易にわかる。
     
    しかし、こうした経験を一度すると、そのリーダーは、上司に少々煙たがられたり、昇進コースの軌道に正確に乗っているかどうかなどより、部下達との真のきずなの方が、いかに得がたいものかを学ぶ。なぜなら、人心が掌握されれば、そうでないチームや艦よりも、はるかに速く成果が上げられるからである。
     
    人心掌握ができれば、あとは部下の能力を引き出し、なるべく自由裁量を委ねる。
     
    「自由は組織に害になるか。」
     
    彼は自問する。これは、私も含め、多くのマネジャーの苦悩でもある。こう言うときに「そんなことは悩む必要はないので、なるべく自由にやらせればいい」と専門家と称する無責任な立場の人に言われてうんざりしたことは、読者だけでなく、私だって幾度もある。アブラショフは続ける。
     
    「それは自由の質による。エゴをさらけ出す自由ではなく、チームの成果を上げる方法を提案する自由なら大きなプラスになる。」
     
    こうした言葉は、歴史に残る時評家の言葉のように、また秋のもみじのように鮮やかだ。
     
    こうして成果を追求すれば、目まぐるしく変化する今日の環境にあって、「(旧式の)規則を守るべきか、破るべきか、どちらとも言えない状況」がひんぱんに現れる。「それを決断するために中間管理職がいるのだ」と言う挑戦心と決心が、彼に多くのめざましい成果をもたらした。21世紀になってからの10年は、どうも何でもかんでもコンプライアンスと言いながら、消極的行動の隠れ蓑とする風潮がないではない。これはそうした倫理基準の次元のことを言っているのではない。毎日実戦に身を置いているマネジャー諸兄ならすぐ意味がわかるだろう。かつて瀕死状態だったIBMを建て直したルイス・ガースナーは、「すぐれた組織は、こと細かな規則でなはく、原則により運営される」と言った。それと表裏一体である。
     
    アブラショフはさらに言う。
     
    「あやまちをおかさない人々とは、組織を改善するようなことは何もしていない人々のことなのだ。」
     
    ますます筆が冴えてきた。訳者のウデもよいのだろう。形式主義や悪い状態がはびこったら
     
    「大声で叫び、わめいて、人々がそれに注意を払うようにする必要がある。」
     
    そのようにできたらどれほど痛快だろう。そして彼はそれをやり抜いたのだ。
     
    乗艦ベンフォルドは、こうしていろいろな観点から、海軍トップクラスの実績を残すようになってきた。傑出した力量を発揮し出したアブラショフには、当然ながら他部署から嫉妬と猜疑を向けられる。彼がその後海軍を離れたのはその事とは無縁ではないかも知れない。しかし彼にはもはや不動の覚悟がすわる。
     

    「傑出する者がいると言う事実に動揺したり、ねたんだりする者は、必ずいるのだという事実を受け入れてしまうことだ。それはこの世においてこれまでもずっとあったことだし、これからも必ずあることだと。」
     
    これはまるで古代ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の言葉でも聞いているようではないか。
     
    アブラショフの力量は、私たちにはすぐにまねができるものではないかもしれない。しかし、アブラショフの行動の部分部分には見習い実行できる点が多くありそうだ。そうして自分の行動を変えれば、目に見える景色が少しは変わって来そうだ。