■対人場面と面接演習
マネジメント場面の第一は、人と向き合って話し合いをする場面である。
この時に、自分の意思が伝わらなければ、つまり相手に「何を言いたいのかわからない」と思われてはとうてい目的は達しえないだろう。さらに言えば理解と賛同を得られればなおよいわけだ。相手が進んで「そういうことならぜひ協力したい」と思われれば理想である。このように、この場面が、マネジメントが問われる第一の場面であると言うことは容易にご理解頂けよう。マネジメントを行なう者は、必ず関係者と向き合い、コンセンサスを得たり、説得したりしなければならない。
この場面は、言い換えれば、利害や心情が食い違い葛藤している場面である。どうでもよいことを楽しくお話する場面ではない。幾度も言うが「節目」の場面である。だから当然ストレスがかかり、楽しくはない。こうした場を、いかに前向きなエネルギーに統合し、転化してゆけるかが問われる。同じ内容を言っているはずなのに、ある人が言うと相手は納得し、他の人が言うと物別れになるのはなぜなのだろうか。そしてその結果、成果の重大な差となって現れる。この事の重みはいくら言っても言い尽くせるものではない。
この対人場面を問う場として「面接演習」を行なう。一般には部下の説得の事例を用いることが多い。
日常われわれが説得しなければならない相手は、部下の他に、同僚、関係部門、上司、顧客、パートナー企業その他多様である。その中で部下こそは基本中の基本だからである。部下を使いこなすのは難しいとよく言う。それ自体はまちがってはいないだろう。が、だからと言って上司を活用したり、説得するほうがより簡単だ言う話はあまり聞いたことがない。部下を説得できなければ他のどの関係者も説得することは難しいだろう。
この面接演習だが、全員ひとりひとりが、同じ例題に対して同じように取り組む。このあたりが普通の研修とちょっと異なる。普通の研修でも、ロールプレイイングとしてこうした例題は採り上げるかもしれない。しかし、時間的制約その他いろいろな都合があって「全員」同じ体験を積むまではとてもゆかないのが「普通」だろう。せいぜい例題を置いて、グループ討議を行い、さあ誰か代表選手が実演だと言うと、そのグループの中のいちばんの先輩が、いちばん気の弱い受講者を指して「おい、おまえが行ってこい」などと「指示」して、それを見て皆でげらげら笑う、と言った様子が「普通」かも知れない。これだと研修は楽しいかもしれないが、学びとしてはさして深く残らない。
このアセスメントでは、どの場面もそうだが、全員同じ体験をするのである。
そしてこの面接演習の様子は、全員分ビデオに撮る。それを演習終了後、全員で見る。ありありと様子がわかるだろう。「部下の育成はいかにあるべきか」などと討議するよりも、百倍もインパクトのある結果になるだろう。いろいろなことがそこでわかる。「あるべき論」の討議はだれでも美しいことを言える。しかし、私たちにとって何より大切なことは、節目の場面で自分がどう行動しているかを直視して確認することであり、その行動を、どうレベルアップできるかをわがこととして深くふりかえることなのである。
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その4:対人場面と面接演習
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その3:マネジメント能力と専門能力
■マネジメント能力と専門能力
マネジメントが問われる節目の場面は、日常にどれだけあるだろうか。
まずはっきりしているのは、私たちが自分のいちばん得意なスキルを使って一心不乱に仕事をしている時は、特段マネジメント行動は問われてはいないと言うことだ。この場合の得意なスキルをふつう「専門能力」と呼ぶ。専門能力は、もちろんだいじである。専門能力がなければ何も始まらない。しかし、今日、正社員であって同じ仕事をある程度続け、選ばれてアセスメントのような研修に来る方々で、専門能力の向上に努力していない人などいないだろう。そうでなければ、仕事についてゆかれない。
私はいつも研修の序盤で受講者におたずねする。「今日ここに集められた皆さんは、職場に戻れば、仕事と実務をいちばん掌握している方々、最も専門能力を認められている方々でもありますよね。」集められた人達が課長になりたてだとする。たいてい私の話はこう続く。
「皆さんほどキャリアを積んでくれば、自分の専門分野の仕事はきっと目をつぶっていても判断がつくでしょう。でも皆さんの上司ともなると、もうそうはいかないかもしれない。皆さんの上司だと、より広い範囲を見なければならず、あまり細かなことはわからなくなってしまっているかも知れません。逆に、皆さんの上司くらいのお立場になれば、いつまでも細かいことにこだわっていてはいけないのかも知れません。」
ここでひと呼吸置くと、必ず一定確率で、にやりとして私の方を見返す受講者の方々がいる。自分の上司のご様子を思い浮かべているに違いない。言葉を継ぐ。
「でも皆さんはまだそう言うわけにはゆかない。実務にも精通し、どっぷり漬かったまま、今後は一層マネジメントを行うことが求められる。これは大変ですね。いや本当に大変だ。」
今度は苦笑する受講者もいる。
「なぜなら、皆さんの部下となると、皆さんほど経験が習熟しているわけではないから、皆さんと同じように仕事上の判断を正確迅速にはできない。皆さんが職場に戻れば専門の仕事の第一人者であり、日頃大変なご苦労をしていることはわかっています。
が、今日はそちらの話じゃありませんよ。専門スキルは、ちょっと置いてきてもらって、純粋なマネジメントの演習です。磨きに磨いた専門能力を活かせるかどうかは、これからはマネジメントしだいの面が多くなるので、今日のような機会に、一度、徹底的にマネジメントだけ考え、体験してみようと言うのがこの研修の意味です。5年か10年に一度は、まるまるマネジメントを洗いざらい考える日が、2日や3日あってもよいでしょう。」まだたりないと思う時はさらに以下のように言う。
「何年かに1度はそうやってしっかり自分のマネジメントをふり返って確認しておかないと、ただ仕事さえしていればよいのだろうと言ってずっと長らく過ごしていると、知らないあいだにすっかりこりかたまってしまうかも知れませんね。そうなるともうどうにもならないでしょう。そうなってからこういう研修をやっても役に立ちませんから、今日のような機会がもうけられたのです。実際、他社では、研修後のアンケートを取ると、皆さんと同じくらいのキャリアの人でも、『こんな研修ならもっと早く受けておきたかった』と言う声が少なくないのです。」よく言われるように、経験を積むほどに、あるいは職階を上がってゆくほどに、仕事の成果は次第に専門能力よりも、マネジメント能力により左右されることになる。例の「カッツの曲線」と言うあれである。そうした行動科学の専門用語的に言えば、テクニカルスキル(専門能力)に比して、マネジメントスキルとコンセプチュアルスキルの活用範囲がぐっと拡がるというわけだ。コンセプチュアルスキルとは、概念形成力、つまりは構想力、創造力のことだから、要するにマネジメントスキルのうちの高度なものだと思った方が実際的には手っとり早い。
もう少し正確に言えば、仕事の成果は、専門能力とマネジメント能力の掛け算で決まる。
足し算ではないのだ。足し算なら、嫌いなどちらかが零点でも、好きなどちらかを無限に伸ばせばよい。しかし掛け算だから、どちらかがゼロだと答え(成果)はゼロになってしまう。だから、いくら専門能力があっても、マネジメント能力がなければそれを活かして成果につなげることができないのである。
さて話を戻す。そのようなマネジメントが問われるのは、どのような節目の場面なのだろうか。
■4つの節目の場面
そうした場面は、突き詰めてゆくと、どのような業種、規模の会社でも、以下の4つに集約されて行く。アセスメント研修は、この4つの節目の場面で受講者がどのような行動を取ったかを自分自身で深くふり返る「体験学習」と言う方法論を取る。まず4つがどんな場面かを見ておこう。以下である。
対人場面
集団場面
発表場面
個人場面(意思決定場面)
上記4場面ごとに演習が設定される。以下各場面を、ややくわしくみてみよう。 -
その2:アセスメント研修とは 〜人は節目の行動を問われる〜
■アセスメント研修とは、自分の行動をアセスメントする研修である
アセスメントと言うのは直訳すると評価であり、確かに歴史的には文字通り昇進試験における、会社側からの人材評価と言う意味だった。だが、能力開発としては、自分の行動を冷静に評価し、それを自らが受け入れることができると言うことが何より大切である。自分の行動の評価を納得できるとしたら、自分の向上のためにそれが行われる時であり、できれば試験やその他の評価がかかっていない時のほうがよい。
そう言うことなのだが、現実には、さまざまに混合された目的をもってアセスメントが運営される。その場合でも、実行してみれば、能力開発、意識改革に大きなよい影響があることがあとでわかるので、私はそれはそれでよいと思っている。
ともあれ、ここで言っておきたいことは、アセスメント研修の主眼は、自分の行動を深くふり返る、と言う点にあると言うことである。
行動とは、かんじんかなめな時の行動、節目の行動である。
どうでもよい時の行動ではない。人は、問われるのは、節目の行動である。楽しい歓談の時のそれではない。考えてみればすぐわかる。2日前に上司と昼食と共にして何を雑談したかなどまず覚えていない。しかし、自分を含むチームメンバーの大きな利害がかかったところで、当の上司がどのような態度、行動を取ったかは、あなたは決して一生忘れないだろう。それが立派なご判断だったかそうでなかったか、いずれだとしても。
そう、私たちは節目の行動を問われるのである。を節目の行動のあり方を、ふつうマネジメントとかリーダーシップと言う。だからアセスメントと言うのは、マネジメント行動、リーダーシップ行動をアセスメントし、深くふり返るものである。
なんだ、それでは管理職とその候補者だけの話かと言われそうだが、そうではない。責任ある仕事をする人にとって、マネジメントやリーダシップがいらないと言うことはあり得ない。
当節総合職で入社3年もすれば、結構重い仕事上の責任を負う。重い責任を負えば、上司や顧客に重要な報告をしなければならないだろう。何を報告し、何を不要として省くかは、結構な「判断力」を要する。この「判断力」と言うのは、マネジメント能力の言わば代表選手である。
あなたが入社20年目の高度な専門職だったらどうか。もう管理職になりたくないよと言うのは本人の自由だからそれはかまわない。が、専門職と言うのは、そのテーマに必ずスポンサーやオーナーがいるだろう。あなたの頭脳の中にどれほど素晴らしいアイデアが入っていたとしても、それをスポンサーがわかってくださり、進んで予算をつけてあげようという気持ちになるよう「説得」しない限り、決してあなたが活躍できる場は与えられない。この「説得力」と言うのも、また一方のマネジメント能力の代表選手である。
こうして見ると、およそ組織の中でマネジメント行動が問われない人などいない。考えてみればきわめてあたりまえな結論である。管理職とそうでない人の違いは、部下がいるかいないかと言う現象だけに過ぎない。
そのような節目の場面は、日常にどれだけあるだろうか。あるいはどのような場面がそれにあたっているだろうか。ここで読者はご自分の日常を思い返して頂きたい。 -
その1:行動変革のためのアセスメント研修
■アセスメントは永く忘れないプログラムである
アセスメント研修は最も速効的なプログラムである。
どれくらい速効的かと言えば、受講者が研修の翌日から行動が変わったと言うことをあとで聞くことが別段珍しくないからである。
速効性よりも定着性のほうがなお重要かもしれない。それもまた高い。5年10年、その時の印象を忘れない人もまた別段珍しくない。上述のように、プログラムがこの形になって20年になるが、20年近く前にアセスメントを受けた人と、「今でもあの時は・・・」と互いに頭を掻きながら話すこともまた、さして異例でもない。ある私のクライアント先の社長は、社長に就かれてから行ったことのひとつが、幹部社員に対するアセスメントの実施であった。自分が30年前に受けたアセスメントの印象が忘れられないでいた折り(さすがにその往時に私は現役ではなかったが)、拙著をお読み頂き、その心証をまた強く思い出され、招じられて実施となったのである。読者の皆様の会社では、きっと研修の効果はどうなのか、それをどうやって測るのか、とかまびすしいことかと思う。こうしたことであまり「科学的測定」を試みても、実は徒労である。しかし、受講後10年20年覚えている研修があるとしたら、そう言う論議自体にすぐさま終止符を打てるのではないか。そのくらいその気があれば、自分に対して気づくことに満ちあふれた研修である。
よく言われるように、このプログラムは、もともとは米軍で開発され、その後米国の大手企業で昇進試験として用いられてきた歴史を持っている。しかし、ただの試験で終えてしまっては誠に惜しい。と言うより、今となっては試験としては用いない方が、ずっとその効果は高いだろう。
そのすばらしい効果の真髄は、もちろん体験いただくことによってしか得られない。が、書き言葉で、そのさわりくらいは述べることはできるだろう。この原稿は、そのエッセンスを述べ、今後導入を検討する企業向けの案内を行うとともに、実際にアセスメント研修を受けた方々のマネジメントの復習と効果の一層の定着を兼ねたテキストとしたいと思っている。
なお言えば、最近は、そうした真髄をきちんと体現しないアセスメントの運用が増えてきたようにも感じる。そうした中途半端な運用では所期の効果がむろん大きく減じられるから、そうした側面への指摘も今回は併せて行いたい。アセスメントには、その運用上の新しい技術はどんどん取り入れるべきであるが(私はそれらをいろいろ工夫してきた)、その原理においては、エクセレントカンパニーの経営理念が、時代を超えて変化しないように、正真正銘のものを次世代に引き継いでゆくべきと思うからである。
次回以降本論に入りたい。