(2012.4.8)
年度末の繁多のため、この稿がすっかりお休みになってしまった。読者の皆様におわび申し上げたい。
今回以降しばらくの間、標準18のマネジメント能力要件の内容を述べる。
その第一は活動性。これはどう考えてもあらゆるマネジメント活動の原点である。エネルギーが感じられない言動に他人が影響されると言うことは起きない。また一定のエネルギーを注ぎ込まなければ、物事が結晶して果実となることもない。
体力、気力旺盛な人は、この活動性には資質的に恵まれていると言える。そうしたエネルギーに富んだ人の行動が、活動性の高い第一の典型である。歴史に名を残した人物にはこれに恵まれた人が多いことは言うまでもない。
と言って、エネルギーに恵まれた人が誰しもそれを有効活用しているかは全然別問題である。いつも最後のがんばりでどうにか帳尻を合わせている人もいるかも知れない。そういう人は、活動性は高くとも「計画組織力」が苦手なのだろう。逆にあまり考えずに膨大な分析に真っ先に取り掛かったが、多大な時間をロスしてから実はむだなことをしていたと気づかされる人も時にいる。これは活動性は高くとも、「判断力」が不足した。自分が体力気力に恵まれた人の中には、つい長時間の活動が苦にならないから、きっと誰しもそう言うものだと思い込むくせを持った人もいる。そう言う上司を持っては部下はたまらない。こうなると「感受性」「人材の活用」も少しあやしくなるかも知れない。
もう20年も前だが、あるアセスメント研修の終わりぎわにアセッサーミーティングを行った。これは各受講者のプロフィルや評定を確定する専門アセッサーどうしの会議である。私が担当したある受講者は、部長兼務の役員だったが、ともかくバイタリティがあり、熱心そのもので、諸事飽くことをやまない。よって、その人の最強点を「活動性」としたら、深く尊敬していたその時の上席のアセッサーがなかばつぶやくように言った。
「活動性ですか・・・・・役員になっていつまでも活動性で仕事をしているって言うのはどうかな・・・・・」
役員にもなるような人は、バイタリティがあるからなる。たいていそうだろう。しかし、能力要件は18あって土俵が広いのだから、いつまでも活動性だけが表看板では仕事の進め方が狭くなるかも知れない。どうか活動性に恵まれた人は、3年後、5年後には、別な強みのほうが自分の看板になるよう工夫して欲しいものだ。逆に言うと活動性だけがたよりの人は少しでも体力が落ちるととたんに輝きを失ってしまう。私はその意味でこれは入り口能力要件だと言っている。
エネルギーそのものは資質に近い。それが少し不足している場合には、どんな補い方になるだろうか。たとえば有名な例では、松下幸之助氏は健康に恵まれなかったことがよく知られている。と言って、氏の活動量が少なかったなどと言う人は誰もいない。虚弱な体質なのに物に憑かれたように事業を進めることができたのは不思議と言えば不思議だ。それも少々な成功ではない。日本を代表する企業グループを育て上げたのだ。これを詳しく書き出すと、氏の一代の伝記の模倣になってしまうからそれはやめておくが、ここで言いたいのは、そのように資質恵まれない人でも、工夫次第で活動性を高めうると言うことだ。
工夫は、突き詰めて言えば執着と集中だろう。
松下幸之助氏の場合の執着は、深い深い使命感に裏打ちされたものであった。私たちは、氏のように「産業報国」と言う使命感までは持てないかも知れない。しかし、少なくとも家族や大切な部下の生活を守ると言うような使命感は持てる。だいたいにおいて、始めから生活がかかっていない人の仕事ぶりは手ぬるく、粘りを欠くものだ。どうあってもキャリアを上げてゆきたいと言う執着は、最近は中国人韓国人の後塵を拝する感もするが、それでも実際はまだ多くの日本人が持っているだろう。そうした粘り強い仕事ぶりを続けていればやがては生活のためと言うより、自分ならではの仕事ぶりやプロセスには執着を持つことができる人は少なくないだろう。
もうひとつは集中力。高い成果をあげ続ける人は、節目の時を心得ている。そしてその節目の時に力を尽くす。日経新聞の経済人の「私の履歴書」を読むと、ああした方々には、不思議なくらい、2度や3度は、ここが勝負どころと、寝食を忘れて打ち込む時が出てくる。たとえば日清食品の創業者安藤百福氏が、毎日わずかな睡眠時間で数カ月を過ごし、ついにチキンラーメンの開発に成功したのは、47才の時である。昭和30年代前半の47才は今と違って、だいぶ引退も近づいた年令感覚だし今日のように快適な生活環境の背景などないから、凄まじいものだ。と言っていくら安藤氏でも、ずっとそんな過ごし方をしていたらあのようなご長寿を保てたとは思えない。活動性が高く保てる人は息の抜きどころも心得ている場合が多いのである。
ちなみに、その創業者安藤百福氏を継承した二代目安藤宏基氏の「カップヌードルをぶっつぶせ!」は、マネジメントの勉強のためには誠に活きた題材を数多く提供していただいている。中でも面白いのが、前半百ページほどである。そこには、けた外れたご力量の創業者にして実父の百福氏と、著者とのなまなましいやり取りが描かれているからである。
百福氏の「私の履歴書」は経済人としては、例外的なくらい部下が登場しない。よほどご自身の力量、エネルギーをもって成し遂げた割合が高い証拠でもある。ご本人も、自分は現場の人間で組織だったことに向いていない旨を述べている。氏の七転び八起きの人生は、ふつうの人の幾百倍も活動性、ストレス耐性、独自性に満ちている。
私たちは、安藤氏のまねはできなくても、ここが商品開発やプロジェクト成功の切所だと言う節目には時として巡り合う。そうした時にがんばりぬくかどうかは、資質と言うよりは自分の意思、つまりはマネジメント行動の問題に近くなる。その時々の勝敗は運の要素にも左右されるが、そう言う折々に自分の力を出し切らないと、まず次の機会が巡って来なくなってしまう。