(2011.10.21)
■面接と会議はどちらが得意ですか
個人面接も集団討議も、同じく人を相手にしているのだが、場面を別々にして研修を運営しているのは、人によって得手不得手が違うからである。読者はどちらが得手でどちらが不得手だろうか。
ここで私は時々受講者にクイズを出す。「面接は一対一ですが、討議になると、一対まわりに5人です。相互関係、利害関係がずっと複雑になりますが、一体何倍複雑になりますか。」
この問いに5倍であると、すぐ答えられる人を、私はうらやましくなる。人生はできればあまりつまらないことはくよくよ考えずに自分の得意とすることに打ち込めた方が良いに違いないからだ。現実には5倍ではない。お手もとに六角形を書いて、全メンバーから全メンバーに向けて線を引いてみて欲しい。15本でできる。だから15倍である。相互の利害は15倍複雑になるのである。10人だと45倍になる。
面接よりも集団討議の方が幾重倍か関係が複雑になり、瞬時に状況判断をしなければならない。つまりその面では、集団討議の方が難しいのである。では必ず面接の方が簡単かと言えばそうではない。なぜなら、公の会議に出席していきなりホンネをぶちまける人はめったにいないだろうが、面接となれば、相手の思いのたけがぶつかってくる葛藤がすぐに待ち受けているからである。面接演習を行なうのは、そうした心情的葛藤をどう解決するかを見るためなのである。
ところで上記15本のコミュニケーションの線の話だが、ここにはマネジメントの本質がのぞいている。自分が日常において5人の部下を率いるチームリーダーだとすれば、その六角形から自分がはずれて真ん中にすわり、残った五角形との一本ずつの線だとすると計5本でよい。もちろん部下どうしが前向きなコミュニケーションを取ることは良いことだが、ここでは効率だけの話をする。つまり6人のチームにリーダーをひとり置くと、そのリーダーが機能すれば、15本の線が5本になるのだから、仕事は3倍効率よくならなければならないわけだ。管理職を厚遇し、ボーナスや手当を余計に払うのはこのためなのである(もっと当節、管理職は処遇が、人事制度上の大きなテーマになっていることは別途痛切に存じている上でだが・・・)。