実戦問答No.28
同じ会社の管理職がまったく同じものを見て正反対に評価が分かれました・・・・・
活きた人事考課者教育の運営 (2012.06.30)
人事考課者教育、人事考課訓練を行う理由は、私の場合は、この実戦問答26で述べたように、3つの目的がある。正確に言えば、その3つの目的に、管理職の方々に深く気づいていただくことである。その3つを、もう一度だけ題目のみ挙げておく。
①公正な(客観的で公平な評価に基づく)配分
②適切な評価の伝達とその受入・納得による行動の変化
③部下の能力開発
上記いずれにも関わるような活き活きとした討議が研修の場においては折々生じる。つい先ごろは以下のような管理職どうしの議論の例があった。
私がつくったあるケーススタディの主人公は、グループリーダー(係長格)の開発技術者である。新規開発商品を行っている。だから、大型の現行主力商品ではない。従ってその立ち上げに、必要な関係部署の協力が、ごく円滑に得られると言うわけにはゆかなかった。要するに、まだ今は物が小さいからあまり支援を期待できない。そこで、立ち上げ時に混乱がつきものの品質管理や生産管理の問題解決に、上司の許可を得て、工場に長期駐在し、じかに関与して推し進めたのであった。時には重要外注先にも出向いた。
当然ながらすいすいとは進まない。数々の葛藤と軋轢を乗り越える必要がある。関係者を、熱意を込めて巻き込み、時間をかけてどうにか新規立ち上げを完了することができた。個々には書ききれないが、それはそれは苦労の連続だった。ただし、こうした混迷の影響で、次の開発案件への着手は遅れてしまった。
本当は、活き活きとした会話の場面がたくさん含まれるもっと長いケーススタディになっているのだが、要旨を言えば以上であり、この主人公の行動をどう評価するかとか言う話である。
これが正反対2つと玉虫色とに、きれいに3つに参加者各グループの意見が分かれてしまったのだ。
まず、A班は言う。
「この主人公は、技術者として自分の定められた役割を越えてやり過ぎである。その結果自分の動きも効率的になっていないし、外注先を含め、人間関係上の葛藤を招いた。次期開発案件への着手も遅れ、計画的でない。よって一連の行動は評価できない。」
これに対し、B班は反論した。
「最初の役割の範囲など守っていたら、いつまでたっても開発は完了しなかっただろう。彼の積極果敢な行動があって初めて物事が完結したのであり、大いに評価すべきである。そもそも当社にはこうしたチャレンジ精神に富んだ社員が少ないから、いつも会社方針に挑戦せよ、現状打破せよと書いてある。そういう人をこういう時に評価しないでどうするのか。」
少し考課者研修全体の空気が引き締まった。どちらの立場にたつとしても、次に発言する人には少しストレスがかかる雰囲気でもある。私は言った。
「さあて、研修がおもしろくなってきましたね。同じ会社の管理職どうしが、まったく同じものを見て、正反対に評価が分かれました。これからどうしましょう。」
こう、少しだけ諧謔味をこめて言うと、一層前向きな論議が活発になると言うのが私の経験上のコツである。
さっそくA班が再反論した。
「そうは言っても、次期案件が遅れたことは明確にマイナスだ。」
「彼の資格等級(係長)を考えた時には、当初の開発立ち上げ案件が困難を来した時からすでにオーバーフローだから、それはノーカウントだ。もともと一係長がなしうるすい範囲ではなかった。」
「やり過ぎて、いろいろな関係者と葛藤を起こした。」
「では品よく物静かに振る舞えば、開発が完了できたかと言えば、そんなことができたはずがない。自分の任務への熱意の表れと見るべきだ。そして最後には、協力してくれる人も多くなった。リーダーシップがある証拠である。」
こうしてA班B班は活発な議論をした。ひとりC班は沈黙を守っている。私がどう考えているのか聞いてみた。
「この人の所定の役割を踏み出してゆく行動は積極性を評価しますが、その途中で和が乱れたのは、リーダーシップの不足と見ます。」
「つまり、是か非かどっちなのですか。」
「いえ、今お話ししたように、どっちでもあるのですよ。」
ここで会場が大笑いした。私が「玉虫色」と言った意味がおわかり頂けただろうか。そして、この日は、絵に描いたように、同じ行動を見る態度が、是と非と玉虫色に分かれた。同じ会社の管理職において、である。
実は、考課者訓練を行う意義は、こうした活きた討議を行う局面に集約されるのだ。人事部やコンサルタントの仕事は、こうした煮詰まった場面を、1日研修を行うとしたら何度かつくりだすことだ。つくりだすためにはその会社に符合した適切な状況設定(教材、ケーススタディ)が前提として必要となり、その上で、全体討議を適切に運営するファシリテーション技術を要する。
さて、この稿の読者は、ABC3班のいずれの見解を妥当と考えられたろうか。もちろん、あらゆる業種、事業構造、企業規模、風土、主人公の職種、前後の状況を超越した普遍的正解などというものはないだろう。だから読者の個々に置かれた環境によっていずれを支持したくなるかは、当然違うだろう。
しかし、同じ会社の管理職どうしだと、正反対のまま終わりにはできない。だからこのあとも、もう少し時間をかけて討議して頂き、その会社の現在の状況にとっては、着地点が見えてきた。この場合は、ややB班の主張に機軸が置かれた結論になっていったし、呼ばれた講師としての私も、その会社のそれまでの経緯に照らした時、おおむね妥当とだと感じた。
しかし、何より重要なことは、正解を確定し、印刷して配って覚えてもらうことではない。真実は、結果論のプリントではなく、上記の活きた討議への参加の中にあるのだ。この種のものは、これが正解ですと公式に紙に書いた瞬間に、古文書になってしまう。そういうものを読まされて、一層に部下の評価と育成に動機づけられるマネジャーなどはいないからである。かのジャックウェルチ(GE前CEO)の表現を借りれば「死んだ書類」である。
人事考課者教育を行うのは、上述のような、活きた討議を深め、誰しもにある自らの判断・評価の特徴、傾向、癖をくっきりと自覚するためである。それはまったく個々人の積み上げた性格、経験、役割、職務に基づくものだから、当初は、「これで同じ会社の管理職なのか」と言うくらい評価の着眼や結論が大きく異なるのは、むしろ普通なのである。
上述の例でもそうだったが、ここで初めて受講者は思う。同じ会社の管理職なのだから、個々人の性癖や好みがいくら異なったとしても、人事評価と言うような重要場面では、物事を判断する方向性の基本は共有していたほうがよいと。そのような意識が前向きな雰囲気の中でおおむね共有されればまず教育は大成功である。
「どうも人事考課教育がうまくゆかない」とよくご相談を受けるが、その多くは、こうした真の討議が行われず、制度の細部や考課要素の解釈の説明などにとどまっている。それなら、管理職達も忙しいのだから、書類を配って読ませればそれで済む。と言ってそれで評価力や、マネジメント能力が向上するわけではない。真の討議になるためには繰り返すが、適切なケーススタディとファシリテーション技術を要するのである。
ところで、普遍的な正解はないが、「玉虫色」のC班の態度は、どうなのだろうか。今回は結論だけを述べておきたい。これは拙著「ポスト成果主義のせ人づくり組織づくり」にも書いたが、人事考課で基本的には行ってはいけない同一事実の「正反対考課」である。より俗な表現でいえば部下にとっては「股裂き考課」、上司にとっては都合の良い「ふたまた考課」である。なぜ基本的に禁じ手なのだろうか。折を見てまたここに所見を書くので、読者にもいったんお考えいただきたい。それとこの禁じ手は、知的能力、分析力などに自信のある人のほうが犯す確率が一般に高いことも併せ述べておきたい。