実戦問答No.3


評価要素でなくて頭の中身を入れ換えないといけないのだよ

   ~人事考課制度と上司のリーダーシップはどちらが先か~(2010.12.22)

仕事がら、評価・動機づけ・育成の一連の関連性をいつも考えていないといけない。最近開催の公開セミナーや人事考課者研修などでもいつも問われる普遍的な論点である。それを考える大きなきっかけになった場面がかつてあった。
 
もう随分前のことだ。私があるクライアント企業で、プロジェクトの役員報告会を行った。さまざまな行動変革のための人材アセスメントのプログラムを実行した結果、その会社では、ある種の能力要件、マネジメント行動が不足であることが浮き彫りになった。たとえばそれが積極性と説得力であったとしよう。その場にいた役員の間のやり取りが、のちのちまで、私に強い印象を残した。
 
ある専務がいた。技術畑のお人で、ご自分の領域では、高度な専門能力をお持ちである。そうした報告を受けて、社長と人事担当役員を交互に見て言った。
 
「この結果を受け止め、苦手な能力を向上啓発させるために、人事考課要素を変えていった方が良いですね。いつも教育で集まると言うのも大変ですから。」
 
そうした苦手な能力を、人事考課要素に採り入れたり、一層強調しようと言う意図である。役員のうち幾人かはうなづき、
 
「それはよい。いちばん日頃意識できるものだから。」

と発言した人もいた。人事担当の役員は「はて、それはどうなのか」と言う表情で黙っている。
 
ここで、この時は相談役となっていた前社長が発言した。そのキャリアとお人柄から、影響力はいまだに大きい。専務と年はひとまわりほど離れている。どこか欲得を離れた仙人めいたようなお顔をにこにこさせながら言った。
 
「いやあ・・・・・評価要素でなくて、その前にまず、君らの頭の中身を入れ換えないといけないのだよ。」
 
「・・・・・」
 
見事なアクションラーニングセッションのように、場がしばしの間、静まった。相談役は、このあと少しも温顔を崩さず、ぽつりぽつり語った。
 
「君ね、評価要素を変えたら社員の行動が変わるなんて、そんなに単純に思ってもらっては困るのだよ。相変わらず君はまるっきりの技術屋さんだね。もう少し人間性の本質に関心を持ってもらわないといけない。」
 
「はあ・・・・」
 
「だいたい君だって、積極性と説得力が苦手だと言う診断結果が出ているじゃないか。」
 
この会社では、社長が、そうした人材アセスメントのプログラムは、自分も含めて役員全員が受けなければならないと言ったので──それは素晴らしいご判断だが──この場にいる役員も全員、自分の得手不得手が載った報告書を目にしているのである。
 
「・・・・」
 
他の役員達の多くは黙ってうつむいている。「君もそうだったね」とお鉢が回ってきてはかなわない。
 
「君自身が、そうしたことをしっかり受け止めて自分の行動を変えてくれない限り、おおぜいる君の部下が行動を変えるわけがないじゃないか。彼らは人事考課要素ではなくて、みんな君の背中を見てどう行動するかを決めているのだから。」
 
「はい・・・・・」
 
「それを忘れて、あたかも人事部の管掌事項のように、この課題を語ってもらっては困るよ。部下を育てるのは君であって、人事部でも人事考課表でもないのだから。」
 
人事担当の役員がほっとしたような顔をしてうなづいている。「変な話にならずに済んでよかった」とその表情に書いてある。
 
「どうだね、頭を切り換えて、明日から、そのような行動が取れるかね。」
 
「はあ・・・・」
 
「別に現在の人事考課制度が、積極性や説得力のある人を低く評価せよと正反対に書いてあるわけではない。だから、君がそうした研修プログラムを通じて変化の必要性を痛感して実行できるなら、人事制度など少しもさわる必要なく、本来の目的である社員の行動の変化や向上につながるのだよ。」
 
「はい。」
 
「それとも、君自身が訓練したりないと言うなら、もっと先生にお願いしてトレーニングしてもらうかね。」 

「いや、それは・・・・・」
 
どうかごカンベンをと言う言葉を専務は呑み込んだ。座がげらげらと笑った。むろん相談役は、全役員に向けて言っている。ひどく落ち着いたトーンはこの間全く変わらない。  
この話は、成果主義流行以前の事である。が、その本質は、いまだに普遍性を少しも失っていない。と言うより、現在が、少々成果主義の行き過ぎた喧騒に踊らされた後だけに、一層私の胸に情景がよみがえる。
 
もちろん、会社全体の価値観を変更するような時は、人事評価要素を必要あれば変えればよい。ごく日常的場面では、人材を育てたり、部下の行動を変えたりするのは、相談役がおっしゃったように、人事考課要素ではなく、上司の行動、態度によるのだ。
 
逆に、評価の精密化を目的に壮麗な大伽藍のようなコンピテンシー考課体系などを整備した会社が、そのせいで社員が元気になったと言う話は寡聞にして知らない。会社が人事考課要素をいじる頻度と社員の活性度とは、まるで反比例するのではないかと思われるような現象が、その後の成果主義流行の時期には現れた。人事考課の要素を深く研究し体系づけることは、本来学者の仕事であろう。そう言うことより、現実の会社では、上司その人の指導力を底上げするよう図ることの方がはるかに重要なのである。かの世界一のコーチ、ゴールドスミスも、論文の中で言う。

「出かけて行くたびに人事考課要素をレベルアップしたと自慢する会社があるが、それではそのたびにそれに伴って社員のパフォーマンスや行動はレベルアップしたのかと問うと少しもはっきりしない。」。
 
部下を適切に評価し、使いこなし、成長させている上司は、どのような人事考課要素のもとであれ、それを行うだろう。自分の狭い経験の範囲でしか部下の行動を評価、判断できない上司がもしもいたら、その人に、世界最新の人事考課要素体系を導入説明したとしても、やはり自分の限定された価値観の範囲でしか部下の行動を見ないだろう。私は過去、人事考課訓練、評価者研修において、膨大な数のマネジャーが、評価に関して取ってきた言動を見てきてつくづくそう思う。重要なことは、素晴らしい人事考課要素を設計することではなく、部下をフェアーに評価し、能力を引き上げられる上司を増やすことである。
 
考課訓練等の研修はそこを目指すなら大いに意義がある。もし、自分のマネジメントの姿勢とは一切向き合わず、実験室のデータ採取のようにただケーススタディ上の部下の行動を観察評価し、ごく他人事のように評点を入れて「答え合わせ」をするだけでは、意義が乏しい。自分が日常、部下を十分に使いこなしているかが問われなければ、上司としての指導力向上にはつながらない。部下の意欲と能力を向上させられれば、実は評価などあまり問題にはならなくなるのだ。逆に何年も同じ部下とつきあって評価は正確この上ないが、その意欲も能力もさっぱり向上していないと言うことがあるとしたら、それほど寂しい話はない。
 
実際、年功主義でも成果主義でも、事業の運営に一層貢献して欲しいと言う、社員に期待された行動は、別段たいして変わってはいない。つまり考課要素の本質はさして変わっていないのだ。ただ、評価の報いとしての昇進や原資配分の基準が、程度問題として勤続年数より、実績、能力重視に変わったに過ぎない。どちらにしても、ごく日常の適切な評価や動機づけ、育成こそが根本である。
 
読者の会社ではどうだろうか。私の経験では、人事考課要素の検討と、社員の行動変革に対する直接の働きかけとの、それぞれへのエネルギーの配分が、1対10以上には、つまり10倍以上は、後者に重きが置かれていなければ不均衡である。  さて、情景に話を戻すと、相談役よりはずっと若い社長は、ずっとにやにやとして話を聞いていた。ここで、相談役の話を引き取り、初めて口を開いた。
 
「ええ、ですから、先生のところでは引き続き、うちのマネジャー達の行動が変わるような教育研修を、折々にお願いしたい。」
 
どう変わって欲しいかと言う内容は、この会合以前の話し合いで既に伺っている。この社長は、部下だけでなく、外部コンサルタントの活用にもたけたお方らしい。それが次の言葉によく現れた。
 
「一度や二度の研修でみんなががらりと変わるとは私も思っていません。ですから、先生も手がけた以上は、もうこんな会社の社員は手に負えないからと途中で投げ出してもらっては困りますよ。」
 
もう一度一座が大笑いした。このように言われて大いにやる気にならないコンサルタントなどいないだろう。これまでこうしたクライアントに数多く出会えて私は幸せであった。

 


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