実戦問答No.5
受験者への「愛情」~昇格試験における試験官の鏡としての役割~(2011.1.04)
昇進昇格における人材評価は難しい。日常の人事考課なら、大量の情報を持つ直属上司が、一定期間内の昇給や賞与の評価をする。昇進昇格の評価は、それと別に、上司よりずっと情報が少ない会社側としての、しかも未来にわたっての責任ある評価を行わなければならない。こうした時の方がずっと難しいわけだ。昔は折々の断片の観察を総合し、「あいつもぼちぼちいいか」「いやまだもう少し」と言う禅問答のような昇格考課だった。
そうした場面の評価の正確性、公平性がどの程度あるのかは別にして、この10年では、やはりそうしたことだけではいけないと言うことで、様々な客観的な昇格審査を採り入れる試みが増えた。どう考えても、日常の人事考課よりは、節目となる昇進昇格の評価の方が重要である。個々の方法の善し悪しは試行錯誤するとして、この方向は当然な流れだろう。まだまだ、「人事考課」に比して、この「人材評価」にかけるエネルギーが足りない会社の方が多いと言うのが私の実感である。
こう言う時、私が依頼されるのは、各種のアセスメントそのものの実施以外では、そうした試験の際の試験官、面接官を遂行するための教育が時折ある。そこでは私は、こうした試験官、面接官の心得として大切と思う事柄を幾つか述べることにしている。
最近、割合重視しているのが、受験者への「愛情」である。愛情とは、およそ企業戦士に似つかわしくない言葉に聞こえるかも知れない。それならせめて受験者への「支援」と言ってもよい。
こうした試験官になるのはたいてい役員や上級管理職である。つまりそれなりにえらい人達だ。そうした方々も昔は必死にキャリアを登って来たはずだが、いつしかその苦しかった日々を忘れているかもしれない。それとそうした時代とは経営環境も変わった。それゆえ、幾つかの心得のうち「愛情」や「支援」を重視するのである。
具体的に述べよう。そうした試験官教育の時、たいてい、面接前の受験者に書いてもらった論文をサンプリングして読んでもらう。もちろん最終的には採点と面接の質問の練習のためではあるが、私は最初に、「読んでどう感じましたか」とわざとぼんやり聞く。そう言う時に多い反応が、「何を言いたいのかよくわからない」「文章がまとまっていない」「趣旨が不明確だ」と言ったものである。誰もが秀才官僚である会社も少ないだろう。まして、昇格試験の場の限られた時間と言う極限状況の中で相手は書いている(私は、こうした論文試験は、幾つかの理由で事前提出にしない方が良いと思っている)。当然、「明晰で論旨一貫している」ことのほうが少なくなる。
そうした場で、典型的には試験官たちと以下のような会話になる。
「まずい点が、文章がじょうずでないのはわかりましたが、この人の昇格前の活動内容として、よい点は何か読み取れましたか。」
「こう文章が、すっきりしていないと読み取れと言っても・・・」
「これを書いた彼になりかわった気持ちで、言いたいことを読み取る、感じ取ることはできませんか。」
「はあ・・・そう言われても、採点すると言う目でしか見ていませんでしたから・・・」
「と言うことは、よい点があるのかないのかわからないと言うことですね。」
「・・・まあそうですね・・・と言って、それをきちんと表現できないようでは困るのではありませんか。」
この例は、むろん役員や上級管理職の登用ではない。そう言う時にあまり作文など課さないだろう。まあ主任が係長になるような試験と思って欲しい。
「まずい文章は読んではいられないと言って目を切ってしまったら、貴社にとって何か大切なものが失われませんか。」
「はあ・・・・」
「ちゃらんぽらんな態度で書いていて文章がまずいと言うのなら別ですが、何百通読んだってそんな例はまず出て来ないでしょう。」
「そうですね。」
「それと、文章がまずいだけでなく、試験官と言うものの性質上、自分が詳しくない部署の人の論文を見ます。それゆえに、もともとわかりにくいと言う面もありませんか。」
「・・・そうですね。」
「内容に詳しくないからわかりにくいと言うことと、文章がじょうずでないと言うのは、別な次元の話ですよね。」
「はい、そうです・・・。」
もちろんあなたはそれをごっちゃにはしていませんよね、という無言の質問の間合いを取る。ここで注記すると、もちろん試験官の当て方としては、自分の専門外の内容を見させる方が妥当である。その意図もご理解願えよう。
「・・・ですから、この彼のいちばん良い所が出ているのはどこなのか、うまいまずいと食べ物のように言わずに、見つけてあげましょうよ。」
「試験官の役割とはそうしたことなのですか。」
「私はそう思っています。少なくとも当社では、作文力、文章表現力のテストをしているわけではないのでしょう?」
「まあそうですが。」
「私は、論文の目的は、事前には、実務の遂行能力の評価と伺いました。私流に言えば等級昇格後の成果の再現能力を見ることだと思っています。文章のうまいまずいは、その中のごくほんの一部に過ぎません。それでいいですか。」
「ええ、わかりました。」
「文章がそれほどじょうずでなくても、なにもよいところがない人は、こういう場には、まず来ないはずですから。」
「そうでしたね。」
「同じ会社の中で選ばれてきた人をまた選ぶ場なのですから、あまり早い段階で、『何言ってるのかわからない』と言う門前払いは、なるべくしない方がよいのではありませんか。」
「・・・どうも私が自分の役割をあまり深く考えていなかったようです。」
「全員のよい所が確認されて、それでも差がつく、これはしかたないですね。そうなら誰だって受け入れるでしょう。人の能力は同じではないのですから。」
「わかりました。・・・それで、先生、この人のよい所はどこに出ているのですか。」
「ですから、それを探してくださいと、最初に皆さんに私がお願いしたではありませんか。」
場にいた全員が笑った。もちろん各自の意見が出た後は、私がサンプルを読んで感じた諸点を述べる。それは答え合わせと言うことではなく、私も一メンバーとして意見を述べているつもりである。 以上は論文の採点だったが、面接でも原理は同じである。どうしても面接官は、無意識のうちに自分が関心を持った聞きたいことだけを聞く。それがその人の評価をする上でたまたま的に当たっていればいいが、そうとは限らないのだ。的が当たっていないことを聞いた反応が明確か不明確かを評価しても、つまり「わかる」「わからない」と言ってもあまり意味がない。また、的が当たったとしても、表現力が達意でない受験者の発言は、上手に傾聴しないと、やはり同じように「何を言いたいのかわからない」となりかねない。名門大学の弁論部ではないのだから、そんなに雄弁な人ばかりな会社と言うのは見たことがない。
やはりここでも、面接官が、一連のプロセスの中で、その受験者がいちばん創意工夫努力した点をうまく探し当てて、自分を鏡だと思って写し取り、時間が限られているのだから拡散せずに、その内容を集中して質問するようにしなければならないと私は思っている。面接後の試験官とのふり返りでよくこんな会話になる。
「そう、やたらと『わからんなあ』なんて言わないで、どうしたら『わかってあげられるか』の方が大切ではありませんか。」
「先生、でも試験なのだから、主旨一貫してきちんと言えなければだめでしょう。」
「そんな人の評価は、誰が見ても別に難しくありません。よくわからない人をちゃんと評価してあげるために試験官の皆さんがいるのでしょう。」
「まあ理屈はわかりますが、わしゃ、そんな甘ったれた考えは好かんのですわ。」
「ご自分の部下の大変重要な評価をなさる時、10分間のスピーチで決めますか、それとも1年間の努力を重視しますか。」
「いや、先生、それとこれとは違うでしょう。」
「どう違うのでしょうか。」
「いや、ですからここは試験ですから・・・。」
「そう、1年中見て上げられないから、短い面接試験の中でその人のいちばん良い持ち味が出るような環境をつくってあげるのですよ。その方が、社員はずっと公平かつ適正な昇格試験だと思うのではありませんか。」
「・・・いや、まあそうですね。」
「こう言う試験は、試験官がわかりやすくするために行うのではなく、受験者の社員が、日頃の力がなるべくそのまま発揮できるようにはかってあげるためのものではないかと私は思っています。」
「はあ・・・」
「その方が、結局評価もわかりやすくなるのです。」
「どうしてですか。」
「だってよくわからんやつは、ばっさばっさと、皆不合格だ、と言うことでいいのですか。」
「まあそう言うわけでは・・・」
「としたら、よくわからないまま合否を決めることになる。」
「・・・・・・」
「そういう人も、どこがよくてどこが改善を要するのか、ちゃんとつかまえて置かないと、こっちもたくさん時間をかけて何をやっているのかわからなくなってしまうでしょう。」
「それでは困りますね・・・。しかし、そんなことが20分やそこらの面接でわかるものなのですか。」
「百パーセントわかるとは言いませんが、全身を鏡にしていれば、相当の確度でわかると思います。」
もちろんきちんとした人材評価手法にのっとった「コンピテンシー面接」などを行うのが理想である。しかし、それは最低で1人1時間はかかる。そんなに時間を割けない会社が多いだろうから、現実的な対処をここでは述べている。
「先生わかりました。何とかやってみますよ・・・」
もちろんある試験官が、何十年、自分が取ってきたマネジメントスタンスを急激には変えられるものではない。逆にそのスタンスが、事業の運営にはどれほど利したかも忘れてはいけない。ただ、ここは場所が違うのである。場所が変われば役割が変わる。そうした自在さと変化適応性を持つのが真のマネジャーであると、リーダーシップの「状況理論」が私たちに教えてくれた。
この人は、そのあと、ある受験者に、
「君、私が君の仕事を何も知らないと言うつもりで、順々にもう少しわかりやすく話してくれないかな。」
と、やさしくある受験者に語りかけたそうである。人は似合わない行動をする時はぎこちなくなるものだ。きっとユーモラスな雰囲気になったことだろう。
私が、「愛情」または「支援」と言った意味がおわかり頂けたであろうか。
ここは超難関の国家資格の試験会場ではないのである。あくまで既に同じ利害と運命を共にしてゆくと決まっている人達の間の選考が、昇進昇格試験である。そうした意識をもって運営した方が、彼らの能力を磨き、ロイヤルティや帰属心の強い社員を育てる道につながるのだと思っている。
もちろん私は、受験者を良い気分にさせることが唯一の目的でこんなことをしているのではない。質問が的に当たると、当然受験者の取った重要な行動が浮き彫りになる。するとそのよしあしの程度がくっきりとするような、何の予断も先入観もない、客観的で真っ白な質問を、試験官がさらに行うことができる。つまりはエクセレントな質問である。受験者が自らを深くふり返り、とても勉強になるわけだ。合否がつくのはしかたないとして、そうした立派な質問をした試験官に、受験者が敬意を払うのはごく自然だろう。それがどれほど会社の利益になるか、その正反対の結果になったときと較べて考えてみて欲しい。その上、評価も一層公平になる。「愛情」をもって接するのは「実利」も伴ういいことずくめなのだ。