月刊人材マネジメント連載記事その2
「横山太郎が語る現場のアクションラーニング」その2
〜アクションラーニングの真価をもたらす場づくり〜 (2011.05.27)
第2回 アクションラーニングの真価をもたらす場づくり
アクションラーニングの真価は、適切な場を設営しなければ発揮されない。それは「絶対に安全な場」「絶対に安心できる場」である。受講者のホンネ、本心が吐露され共有されない限り、所期の人材育成は進まないし、問題も解決しない。真のアクションラーニングにはならないのである。
日常の会議にすぐ応用するのは無理である
日常の会議の中で、ホンネが自由闊達に表明できて、誰しも違和感なく、体面にこだわらず、純粋な問題解決と、最良の意思決定だけに意が用いられている組織ならば、ことさらアクションラーニングなど行わなくても足りる。例えば井深大氏、盛田昭夫氏ありし頃のソニーはそうした風土であったと諸書が伝える。しかし、残念ながら今日そのような会社はほとんどないのではないか。
そうした前提がないのに、聞きかじってきたルールだけで経験未熟なコーチが、日常の会議をアクションラーニングにより行おうとすると、百発百中で失敗する。やってみればすぐわかるがホンネの交換なく、型通りに発言を質問に置き換えよなどと進める討議は、空虚である。ただでさえ、普段の会議は時間が足りず、真の意見交換が不十分なのだ。そこへ指示やルールを追加してかぶせたら、一層非生産的な事になる。現にそうしたご相談が増えてきた。
組織の中では、強い利害対立や心情葛藤が渦巻いている。それには善いも悪いもないので当たり前である。日常の会議は、各参加者の切実な利害が絡んだ事項を、意思決定する場である。そういう場で、アクションラーニングの原理として、支援、共有、対等などと言ってみても、無理である。時間的期限が切られ、出席者の序列の定まった場で、自由闊達なホンネの交流が短期間に生まれるはずがない。原理に名を借りた無責任で好き勝手な思いつきの質問が増えるくらいかもしれない。そうした行動は、真の責任ある自由とただの無秩序とをはき違えているだけで、アクションラーニングでも何でもないし、悪弊しかもたらさない。刻限が過ぎれば場の上位者が、「審議を尽くした以上は、あとは私が判断するので、決めた以上は皆それに従って欲しい」と宣告するのは、これまた当然過ぎることなのだ。そうでなかったらアクションラーニング以前に、マネジメントになっていない。
本当の問題を出せる雰囲気づくり
だから、まず組織的意思決定の会議の場とアクションラーニングの場は絶対に区別しなければならない。その上で、ホンネを語ってもそれがとがめられることのない場を人工的に設営するのだ。「今日はそうした場なのです」と開講早々に主催者とコーチが強く訴える必要がある。アクションラーニングを多くの場合、守秘義務を約束する研修として日常と切り離し比較的ゆったりした時空間にて実施するのはそれゆえである。職場の中のメンバーで行う時には、上記のように、全く別次元のミーティングをしているのだ、意思決定の場ではない、と約束して臨む必要がある。
では研修の開講一番、守秘義務さえ宣言すれば事がうまく運ぶか。それは最低限であり、さほど単純ではない。次にコーチ(講師)が指示するのは、問題の提示である。重要で差し迫った問題を出してくださいと言う。そうした題材でないと相互の啓発は進まないからだと前回述べた。一見ややこしい。現実の利害葛藤の場と切り離せと言いながら、最も切実な問題を示してくださいと言うのだから。この対照の鮮やかさがアクションラーニングの本質部分である。それをどうかこの短い文章から看取頂きたい。コーチの力量が最初に問われるのはこのあたりである。受講者の中にはこの時点では、まだ疑心暗鬼な人もいる。だからそうした鮮度高い問題をすんなり出せるような雰囲気をコーチがつくり上げないといけない。言葉では簡単だが実現はさほど容易ではない。だから私は各受講者が問題提示のシートを書く前に、相当しつこく訴える。「今日はホンネで討議することが目的ですから守秘義務をかけているので、そうである以上、いちばん重要で切実な問題を出してくださいね。」
そこまで言っても、まだ左右を見回し、「こんな場で本当の話をしていいのだろうか」と言う思案顔をしている人もいる。ここまで進むと、中には積極的な人がいるから「いいんだよ、君、ありのままに出せば。そうそう君の所は、あれがいちばんいいよ。」「うーん、あれはちょっとまずいのでは・・・・・」「まずいからこういう場で討議するのだよ、先生、今回はそういうことでしょう?」こう言う受講者がいると本当に助かる。が、この種の積極的な受講者は、その前にコーチの姿勢を実によく見ていることを忘れてはならない。つまりコーチが、守秘義務を守るばかりでなく、本気で彼らの問題解決を支援しようと思っているかどうかを、である。そのおめがねにかなわないとこの種の態度は現れない。
その上で書かれた内容の鮮度を念入りに確認する。これらを省略して、ともかく何か出せと言って始めると、あとから二番煎じの問題で本人もそれほど悩んでいないことに気づき、研修の雰囲気がだらりとしてしまう。啓発も学習も進まず、あほらしい、時間のむだだと言う空気になる。こうした時に経験未熟なコーチが「だってあなたが大事な問題だと言って出したのではありませんか」などと指摘するのを見かけるが、全く実益のない形式論である。重要な問題を進んで出してもらう雰囲気をつくりあげ、学びの多い討議となるよう運営する責任は、受講者ではなくコーチにあるのだ。
いかにホンネや最重要の事実を語っていただくか
いちばん重要な場づくりはまだこれからだ。重要緊急なテーマが出たとしても、それに関するホンネが語られるかはまた別だ。ホンネや、本人がなお言いたがらない最重要な事実を引き出すのは、実際難しい技術だ。討議が始まってたとえば最初の15分間でそれらがあます所なく語られるほうがむしろ少ない。「ある部下が成長しないので困っている」「なぜですか」「私の方針を理解した行動にならないからです」「なぜ理解しないのですか」「ビジネスマンとしての意識が不足しているからでしょう」「それを植えつけるにはどうしたらいいですか」「そう、教育しかないですね」「ではどんな教育がいいですか」こう言う一本調子で平板な問答をいくら繰り返しても、全く実益はないし問題も解決しない。この種の会話で終始したらアクションラーニングとも言えない。この問答にはどこにも問題提示者が自分をふり返る瞬間が出て来ないからである。こう言う会話がずっと続いたら、コーチが、ホンネや最重要な事実に迫れるよう場に働きかけることができなければならない。が、前号にも述べた通りそうした面で適切な技術を保有したコーチがひどく少ない。
ここではせめてたとえば、「その部下に関して最近いちばん困ったことはどんな例がありますか。具体的に教えて頂けませんか」と質問しなければ話の焦点は合わない。それでも、核心の事実をすぐぺらぺらしゃべる人はそう多くない。「いろいろありまして」「ええ、いろいろあるのでしょうから、そのうちいちばん重要で、皆さんがわかりやすい例を」「うーん・・・」などと続けば何か語られるまでじっと待つ。これがなかなか難しい。温かく見守る「間」や「溜め」が取れずに、逆に次から次へ違う質問が追って行く場合が現実にはよく起きる。こうした時は皆でじっと辛抱して核心を語られるまで待つ必要がある。発言を質問に置き換えよだとか、最初はわざと些細な例を言うかもしれない。誰しも核心を語るのは恥ずかしいし怖いのである。それを語ってもらえるような支援的な空気が場に醸成されていないと、ホンネは出ないのだ。その醸成は、コーチの最重要の責任である。そして核心が語られると、一気にはずみがつき共有感が非常に高まる。つまり成果が上がる。
ホンネや最重要の事実の出なければ、いくら時間をかけても真のアクションラーニングにはならない。好意的に言っても話し方作法教室である。忙しい受講者に、問題解決や行動変革ではなく、会話マナーを教えるために集合させるのは頂けない。
あるクライアント企業では役員を集めてアクションラーニングを行ったのだが、ある役員がぼっつりと言った。「本当のことが言えて、本当に実質の討議ができて、本当によかった」。3度も「本当」と言ったので皆げらげら笑い合った。その感想が出るまで、彼の問題に関する討議に2時間余を費やしている。場づくりが成熟し完結するプロセスにそれだけ時間がかかったのだ。その問題は、当然ながら、会社の戦略、いや命運を左右するような内容であった。そんな重大な問題に関し、日頃本当のことが言えていないのである。アクションラーニングの真価が問われた場面だった。