(2011.06.22)
著者は、伊那食品工業の事実上の創業経営者(現在は会長)で、同社は48年間増収増益を続け、寒天の製造では世界シェア1位の優良企業である。
■会社は社員を幸せにするためにある
「会社は社員を幸せにするためにある。そのためには永続することがいちばん重要だ」と本書冒頭近くで著者は述べる。同時に財務偏重の世の風潮を強く批判する。社員を幸せにするためには、「いい会社」であると仕入先、販売先、地域社会から認められなければならない、利益を独り占めするような行動は決して取ってはならないと続ける。そのような会社は、人に尊敬されず、社員はその会社に所属することを幸せに感じないからだ。
ここまでは、多くの企業で額や記念碑に飾ってある経営理念と、内容的にはそれほど大きくは変わらないかも知れない。しかし、それがぴたりと言行一致しているのが、経営者としての著者の強い説得力となる。
「人の犠牲に立った利益は利益ではない」「人件費はコストではなく会社の目的そのものである」とさらに信念は深まる。「会社は運命共同体です。私は(社員を)家族とさえ思っています。」だから、なぜ、そうした方々の人件費が少なければ少ないほどよいと思うのか不可思議だと問う。松下幸之助だってここまでは言わなかったろう。
しかし会社が「仲良しクラブ」ではいけないので、「いつも喧々諤々の議論が巻き起こっている方が望ましい」。ここが、労働組合ばかり強い会社とは違うようだ。
こうした人材観に至った背景は、著者が若年時、貧困と病気に苦しみ、その悲哀の中で、他人の苦痛を理解できるようになり、人のなさけけも身に沁みてわかるようになったからだと言う。だから経営を預かってからは、「お世話になった方々や社員を置き去りにするようなことは、決してやるまいと心に決めていた」のだ。加えて、経営者となってからの前半20余年は、余裕などは全く持てず、死に物狂いでやってきたとおっしゃっているから、そうした厳しい経験が、一層磨き上げた人材観であろう。艱難汝を珠となす(かんなんなんじをたまとなす)とはよく言ったものである。
■社員のモチベーションを上げることが最大の効率化
どうしてもコストや効率が気になる人にはこう語りかける。「機械はカタログに記載された能力しか期待できません。」「人間はやる気になって知恵を出し、体を動かせば、2倍、3倍の能力を発揮します。」資金繰りに苦しんだお蔭で「最大の生産性向上策は、社員のやる気アップだ」と確信したのだと言う。「社員のモチベーションを上げることが、実は経営の最大の効率化」であり、「ケチは悪循環の始まり」と語る。自分の会社が欲得のためにケチって社員や仕入先の正当な利益を搾り取ろうとすれば、それはずっと無限に連鎖し、世の中全体に悪循環をもたらすと考える。誠に胸がすく論旨である。
日本電産の創業者、永盛重信氏は、「人の能力の差は、せいぜい2倍か3倍、しかし努力の差は、5倍10倍あるいは無限大」と言う趣旨をご著書でよく述べられていた。同じ趣旨だが、それぞれのお人柄の違いが、倍数の表現の違いに現れて面白い。
■仕入先とはともに繁栄
転じて仕入先にも温かな目が注がれる。「当社は利益ではなく『永続』に価値を見出そうとする企業です。だから一時の利益のために良好な仕入先を失うような愚かな真似は冒したくありません。」「仕入先とはともに末広がりに繁栄できるような関係でありたいものです。こちらがそう考えていると、不思議なことに仕入先もこちらの繁栄を願ってくれるようになります。」誰しも他人とこのような関係を築きたいものだ。もちろん、塚越会長は、人を欺こうとするような会社とはつきあわない。
以上により、「利益なんかカスですよ。」なぜなら健全な経営をしていれば自然と残るのだから、と論旨は続く。
■追い風を自分の実力と勘違いすると
そのようになるには、堅実な低成長をずっと続ける必要がある。題名の「年輪経営」はここから来た。年輪は、風雪に耐えた幅の狭いところの方が強靱で、気候がよくて急成長した幅広なところの方がもろく、これは会社の経営も同じなのだと言う。
2005年に寒天ブームが起こる。堅実に身の丈に合わせた成長しか指向してこなかった塚越会長は、この時も、単なる利益追求の増産要請にはあとでひずみが出るのはわかっているので、首をたてに振らなかった。しかし、福祉医療関係者から、人助けのためだからぜひ増産して欲しいと言われて、ついに信念を曲げて急拡大に踏み切る。しかしブームが去ると、売上利益ともに減少し、材料高等の後遺症が残った。そればかりか粗悪品が市場に流れ込み、消費者との信頼関係まで崩れかかった。連続増収増益が48年で途切れたのがこの時である。こうした、一時のブーム、流行に乗っかった経営行動を著者は最も好まないわけだ。こうした単なる「追い風を自分の実力と勘違いすると取り返しのつかない事態を招きます」。私も耳が痛い。
ではブームが来たらどうするのか。われ関せずと「孤塁を守って知らんふり」もできないので、「ブームで得た利益は、自分の力で得たものではないから、人様から一時的に預かっているもの」であり、「将来必ず出て行くもの」と心得なさいと言う。どうしたらここまで達観できるのだろうか。このように心根を据えられたら、日々どれだけ落ち着いて仕事に取り組めるだろうか。
■遠きをはかる者は富み近くをはかる者は貧す
年輪経営は、長期的観点の経営である。そのお手本として二宮尊徳を尊敬し、言葉を引用する。「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」「近くをはかる者は春植えて秋実る物をもなお遠しとして植えず・・・・・ゆえに貧窮す」。これは2百年近く前の言葉なのに、まるで今の世相を言い当てているようではないか。塚越会長の信念に誠にぴたりとした言葉である。
どこの会社でも、何か実行するたびに「成果はどうだった」とひどく気短かに尋ねられることがあまりに多くなってしまった。上場企業では、3カ月おきに決算をして株主に報告しなければならない。が、著者は、それはずいぶんとむだなことで、そんな社員の労力を、もっと創造的で生産的なことに向けられたらどれほどよいだろうかと評する。「決算など3年に1回くらいでちょうどいい」と言われる。ここは心ある多くの社長が快哉を上げたいところではないか。
だから、会社の基礎が固まった時期には上場を検討もした。が、結局やめた。「莫大な個人資産や多額の資金を得られる反面、まことに不自由な・・・意思に反した経営を行わなければならなくなる」からである。そこで「自分でメシが食えて、病気になった時に病院に行けるくらいのお金があればいいと覚悟を決めたわけです。」これは、何も著書で初めて言ったわけではないだろう。常日頃の考えとして社員たちにはとっくに伝わっていたに違いない。こうした経営者の言葉を聞いて、多くの社員がどう思ったかは想像に難くない。
■「人間のあるべき姿」を追求した商品開発
そんな塚越会長だから、商品開発にも誠に独自の見識がある。マーケットリサーチの数字などは過去のものだから、そうした追求にエネルギーを用いない。ここまではヒット商品の多いメーカーに共通している。ではどうするのか。「人間のあるべき姿」を追求した商品なら必ず受け入れられるのだと言う。そこにはひとりよがりな独自性ではなく、確固とした公共心があるから成功するのだろう。
商品開発戦略には「トレンド軸」「進歩軸」があると述べる。「人間のあるべき姿」とはここで言う「進歩軸」である。だから商品開発は、「進歩軸」に沿ったことを基本的に考えながら、流行、つまり「トレンド軸」にも配慮するのが正しいのだと。ところが世の多くの企業はトレンドばかり追いかけて右往左往する。トレンドが消えれば消え行く運命にあるようなものは、「少し長い目で見れば、効率のよくない商品です」。ここでも私を含め耳が痛い人が多いのではないか。はやりすたりに振り回されて、なんとまあむだなことをしてしまったかと嘆かずに安定成長できるなら、それはまさしく経営の王道であろう。
■会社の素粒子は何か
本書も後半になると、哲学的な表現が目立つ。「会社の素粒子は何か」と塚越会長は読者に問う。それは「ファン」であり、「会社経営の要諦は『ファンづくり』にある」と言う。経営者自ら顧客との接点で、ひとり、またひとりとファンを増やして行く。そうすればファンになった方々が、またまわりにファンを増やしてくれる。効率が悪いようで、マスメディアなどよりずっと効率がよいのだと主張する。著者はその場合のファンとのきずなの強さを訴えているのだろう。「社員ひとりひとりが1日に何人のファンをつくれるのか」が「会社の命運を握っている」。「今日は何人のファンをつくれるのか、朝そう考えればワクワクしてきませんか。」
言うまでもなく、伊那食品工業は、一般的分類なら製造業であり、かつ国内市場中心である。しかし、このくだりはまるでグローバルな超一流ホテルの経営者が所信を語っているようではないか。塚越会長が、どれだけ真に顧客のことを思っているかがせつせつと伝わって来る。だから、長期安定成長ができたのだ。そして、少しでも顧客との接点を持つ人なら、「そうか、仕事はそのような心がけでやればいいのか」とファイトがわいてくるくだりである。
■百年カレンダー
著者は、以上のような経営理念をしっかり社員に浸透させる努力を惜しまなない。「会社は教育機関、経営者は教育者でなければならない」と語る。たとえば新入社員教育では、現在からの「百年カレンダー」を配り、「君たちの命日が、このカレンダーの中に必ずある」と語りかける。新入社員達が何やら面食らう様子が読者にも見て取れる。いくら若いと思っていても、結局限りある人生を、悔いなく過ごすのだ、そして自分が幸せになりたいと思えば他人に喜んでもらうようにしなさい、と繰り返し伝える。こうして2週間の教育期間を過ごすと、俗に言うやらされ感ではなく「働かなきゃ損だ」と新入社員達が考えるようになるのだと言う。
■年輪経営と日本的経営
読み終えてみて、経営書と言う観点からは、物事の本質だけを追求する者が勝者になりうるのだと言うことを強く感じた。あまりにも本質でないことに時間とエネルギーが浪費、空費されている組織、企業が多過ぎる中で、伊那食品工業は、今後百年永続し、社員を慈しみ、顧客のご愛顧を受け、利害関係者に報いることだけを念じて年輪経営が行われてきた。塚越会長の行動の軌跡には、深い敬意を払う以外にない。
よく考えてみれば年輪経営の内容は、死語になりつつある「日本的経営」そのものでないかともふと気づいた。ただ、それは、誰でもまねできるシステムとしてではなく、塚越社長個人のご力量にいかに多くを負っているかもよくわかった。かつての日本的経営も、終身雇用などの部分品の研究考察は別にして、松下幸之助氏や、井深大氏と言った、抜きんでた力量のリーダーの全人格が反映した固有の経営を指していたに過ぎないのかもしれない。「日本的経営」を題した本はあまり見かけなくなったが、松下氏、井深氏、本田宗一郎氏、稲盛和夫氏と言った方々のリーダーシップ論や、伝記は、今でも多くの人に読み継がれているのが、その何よりの証拠だろう。もっとも会社の大小は別にして、かつてはそうした力量優れた名物経営者がさほど珍しくもなかったことが、現在との差なのかも知れない。そこここに、会社の骨格、性質に合わせた日本的経営があったのだ。
■塚越氏一代で終わってしまうのかどうか
あとがきに面白いことが書いてある。もし会社が銀座のど真ん中ににあったらどうなっていたろうかと自問されているのだ。「きっと物欲や名誉欲に惑わされていたに違いありません」。最初から無欲恬淡(てんたん)な人など魅力はないのだ。そう、塚越会長も、最初の原点は私たちと全く同じ煩悩深きお人だったのだ。しかし、それを超人的な克己心にて昇華され、その哲学が見事な結晶となって現在の伊那食品工業をおつくりになった。
数百人の規模だからできるのだとか、国内中心の事業だから可能なのだとか、そうした第三者の好き勝手な批評はあまり意味がないだろう。現時点の伊那食品工業を見ると、まるで「理想会社」である。古代ギリシアの哲学者プラトンは、衆愚政治に堕しつつあったアテネを離れ、理想国家を建設しようとしたが妨害され果たせなかった。プラトンの少し前に花開いて全盛期を迎えたアテネの民主政を、プラトンはおそらく意識していたことだろう。しかし、その全盛時の民主政とて、実は、ペリクレスと言う、力量懸絶のリーダーのもとでこそ真に機能した。と言うより、彼なくして、アテネのデモクラシーの精華はなかった。
年輪経営もまた、塚越氏一代で終わってしまうのかどうか。もちろん、そうはあって欲しくないものである。